1994年に「省庁制」が導入されると、諜報省の大臣に任命され、教団の非合法活動を裏から取り仕切った。VX殺人事件や元信徒の落田耕太郎さん殺害事件、仮谷さん逮捕監禁致死事件などに深くかかわり、地下鉄サリン事件では実行犯チームの現場指揮を担った。「裏の仕事」を積極的にこなした背景には、麻原への絶対的な忠誠心のほか、高学歴の株が多い中で自身は大学中退というコンプレックスを埋める意味合いもあったようだ。裁判ではこう話している。
「(教団内の高学歴エリートに対して)屈折した心が現場にいてあった」
第一審では無期懲役だったが、第二審で死刑判決が下された。一審では、地下鉄サリン事件での井上の立場は「後方支援にとどまる」とされていたのに対し、二審では「総合調整役」と認められたためだ。
2009年12月に上告が棄却され、死刑が確定した。一審で無期懲役になりながら、二審で死刑となった唯一の教団幹部だった。
「オウム真理教家族の会」の永岡弘行会長は、井上が関与したVX事件で瀕死の重傷を負い、いまも後遺症が残る。しかし、それでも判決後、「死刑は残念」と言い、こう語った。
「明るく笑う青年がなぜ、償えないような大罪を犯してしまったのか。それが悔しくてたまらない」
一審判決が出たときは、泣きじゃくりながら聞いていた。入信した16歳のときに成長がとまったような、子どもの側面が垣間見える人間だった。
*「グル(麻原彰晃)の指示なら、人を殺すことも喜び」<教団エリートの「罪と罰」(2)>へつづく
※週刊朝日 臨時増刊『オウム全記録』(2012年7月15日号)