この首相答弁の1週間後の2月24日、佐川宣寿理財局長(当時)は交渉記録をめぐって「事案が終了したため、廃棄した。記録は残っていない」と断言している。その日の午後、菅官房長官は記録廃棄を問題視する記者の質問を受けて、こう答えている。
「決裁文書は30年間保存している。そこにほとんどの部分が書かれているんじゃないでしょうか」
決裁文書の改ざんが始まったのは、その2日後の26日からだ。当日は日曜日で、休日出勤して作業に着手したのである。
交渉記録の廃棄と決裁文書の改ざんの流れを決定づけたのが、2月22日に官邸で行われた“謀議”だ。安倍首相から「徹底調査」を指示された菅官房長官が、官邸に佐川氏と太田氏、蝦名氏らを呼び、国有地売却の経緯について説明を受けたという。
前出の宮本氏が続ける。
「打ち合わせには、寺岡秘書官も同席していたことが明らかになっています。すでに、昭恵氏の名前が入った決裁文書の存在が報告されていたはずです。官邸はこの時点で問題の深刻さを把握し、決済文書の改ざんと廃棄を指示したとしか思えません。麻生(太郎)財務相は『文書を書き替えるのではなく、普通は答弁を言い直すべき』と言っていましたが、それができなかったのは佐川氏の答弁ではなく、首相答弁だったからです。いまさら『私や妻が関与していたら辞める』との答弁を引っ込めるわけにはいかないでしょう」
6月5日の参院財政金融委員会で、辰巳孝太郎参院議員(共産)も、改めて「昭恵氏が記されている決裁文書の存在を、4月22日の時点で知っていたのではないか」と問い質した。
だが、財務省の矢野康治事務次官代理は「官房長官への説明の際には、決裁文書に政治家の名前があることを把握していなかった」と従来の答弁をくり返したのである。
だが、この日の打ち合わせが一連の不正行為の起点になった疑いはますます深まった。元経済産業省官僚の古賀茂明氏はこう語る。
「昭恵氏の名が決裁文書に記されていることは、昨年2月17日の首相答弁後すぐに財務省から伝えられているはずです。遅くとも22日の官邸での打ち合わせまでに知らされています。菅さんが直接乗り出したということは、大変な事態であることを察知したからです。官邸の意向を確認しないで、文書の改ざんという犯罪的行為に手を染めることなど通常の官僚の感覚としてあり得ない。昭恵氏や官邸の関与をいくら否定しても、誰も信じませんよ」
文書改ざんの動機すら不明なままの欠陥調査では、当然のことながら幕引きとはいかないのである。(本誌・亀井洋志)
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