「50歳を迎えた頃、舞台で声が出にくくなったので、ボイストレーニングに通い始めました。それから10年ぐらい経ったときに、『ここまでやったんだったら、歌ったら?』と人から勧められて、『何か歌うきっかけがないかな』と漠然と考えていたところに、去年、越路さんの追悼公演で歌うという話が持ち上がったのです。あらためて歌ってみると、岩谷時子さんの歌詞は、メロディーに、自然に言葉が乗っていることに驚かされました。歌詞の中に深い人生が描かれていて、シャンソンのメロディーの中で、日本語の美しさが際立つ。これはすごいことです」

 歌舞伎以外にも、映画監督、舞台演出など、さまざまな芸術分野で才能を示す玉三郎さんだが、どんな活動のときも、「伝統を後世に伝えていかなければ」というような、過剰な使命感は持たないようにしている。

「すべてはご縁でやっているだけで、とくに大義はないのです。一つ言えることは、舞台に立つ人、そこに足を運んだお客様の両方が、夢が見られること。それだけは大切にしたいですね。たとえば、『愛の讃歌』は、原詩では恋人を亡くした哀悼の歌で、岩谷さんの訳詞とは違います。でも、何が本当で、何が嘘かというよりも、曲の中に人生を感じられることが大切。僕たちにできることは、ただ心を込めて歌うだけです」

週刊朝日 2018年4月6日号