今回から、新しい連載をスタートさせていただくことになりました。タイトルは「写真のよろこびと哀しみ」といいます。
 詩人・中原中也の詩の一節に「ではみなさん、喜び過ぎず、悲しみ過ぎず」というものがあり、20代の頃、その言葉が好きでした。
誰しも、当たり前の生活を営むなかに、必ず喜びと悲しみを感じるはずです。だからこそ、中原中也はそう詠んだのだと思います。つまり逆説の言葉です。ものごとに対し、過多に期待せず、だからといっても必要以上に落胆しない方がいい。できるだけ、平穏に淡々とすごしすべきだ、という願望のように感じるのです。でもなかなか、そう出来るものではありません。だからこその「喜び過ぎず、悲しみ過ぎず」なのです。

 
 18歳で上京して写真学校に入学した年から数えると、僕が写真と関わって26年ほどの時間がすぎたことになります。そのあいだにさまざまなところへ行き、さまざまな人やものをカメラにおさめてきました。少なからずの体験がありました。
 そのあいだにカメラ機材も、当然ながらゆっくりと、しかし大きく変化しました。写真を始めた頃はフィルムカメラしかありませんでした。オートフォーカスがやっと登場し始めた頃でした。その後、デジタルカメラがあらわれ、その勢いはじわじわと増し、いまでは完全に両者のバランスは覆されました。振り返ってみれば、写真を取り巻く世界も大きく様変わったことに驚きます。
 そんな四半世紀ほどの時間のなかで、みずからが体験し、感じたことをこれから綴っていきたいと思っています。

 「写真は人を不幸にする」
 この言葉を、友人たちと合い言葉のように使っていた時期があった。20代前半の、写真学校を卒業したばかりの頃だ。その言葉を最初に発したのは写真学校の同級生だった。
 僕は中央線沿線の高円寺の古いアパートに、学生時代の友人のひとりと共同で住んでいた。さらに、歩いて30分圏内には、やはり学生時代の友人たちが数人住んでいた。
 僕は新聞社にカメラマンとして入社した。就職できたのは、間違いなくバブル景気の恩恵だった。ただ、当時はそんなふうには思ってなどいなかった。後になったそう感じたまでだ。
 友人の多くはスタジオマンとなり、文字通り、朝から晩まで忙しく働いていた。同居の友人は不動産会社の写真部に入社し、カメラマンのアシスタントとなった。いまから考えれば、不動産会社に写真部があったことに驚く。
 
 日曜日の夕方、近くに住む友人のひとりをアパートに訪ねた。
携帯電話などない頃だから、突然だった。
友人は部屋にいた。ちゃぶ台の上に置かれていたプラスチックの容器に入った、ぬるい麦茶をコップに一杯いただき、チビチビ飲んだ。
 「あぁ、明日からまた会社か……」
 友人が呟いた。
 「写真は人を不幸にするよ。写真なんてやるんじゃなかった。普通に大学行って、普通に普通の会社に就職するんだったよ」
 ずいぶん投げやりな口調だった。部屋の片隅には、スタジオで使っているらしい汚れた軍手が転がっていた。僕はそれをじっと見つめていた。
 「写真は人を不幸にするのだろうか」
唐突すぎる友人の言葉に、僕はすぐには反応できなかった。声には出さず、頭のなかで、その言葉を転がしてみた。 
友人はそれ以上、何も口にしなかった。でも、僕は友人の心中がわかるような気がした。

この街で、写真を続けていくしかない

 写真学校を卒業して、強烈に感じたことがあった。それは、世の中はそんなふうにできていなかった、というものだ。
 写真学校で習ったことはもちろん無駄ではない。好きだったのは、著名な写真家の作品を観たり、学生が撮った作品を先生が批評する時間だった。自分は創作に関することに具体的に触れ、実際にものを作り出している実感があったからだ。幸福な時間だった。
 しかし、会社ではそれらはたいして必要とされていなかった。当たり前といえば当たり前なのだが、世の中は学校の続きではなかった。そのことに就職して初めて気がついたのだ。いま考えれば、あまりに幼かった。とにかく、何か知らない巨大なものに裏切られたような気がした。友人も、きっとそのことを言いたかったのではないだろうか。
 
 写真学校を卒業しただけなのだから、たいした学歴があるわけではない。写真をやめてしまったら、簡単には「つぶしがきかない」ことも次第にわかってきた。
 友人が「普通に大学行って、普通に普通の会社に就職するんだったよ」と口にしたのは、そのことをさしているはずだ。可能性を求めて写真の世界に飛び込んだのに、実は可能性を狭めてしまっているのではないか。そんな疑心暗鬼な思いにとらわれていたはずだ。
 友人は、結局、スタジオをやめた。そして写真もやめた。
友人が郷里に帰ると聞いたとき、僕が抱いた感情は、意外にも「うらやましい」というものだった。ある種の嫉妬だった。去って行く姿を見送る自分が、知らない地に取り残されてしまうような感情に襲われた。
 
 僕は友人のように帰ることはしないし、したくない。ならば、この街で、写真を続けていくしかない。現実を、つまり世の中が「そんなふうにできている」ことを受け入れ、理解し、それに正面から立ち向かっていかなくてはならない。そんな気持ちになった。いま考えれば、随分大げさな気もするが、当時は大まじめにそう思っていた。
 「写真は人を不幸にする」 
 この言葉を、いま使うことは滅多にない。でもそういうことは、確かにあると思っている。
 一年に一度くらい、写真学校から声をかけていただき、簡単な講義をすることがある。そのときに、若い人に向かって、最後にこのことを必ず話すようにしている。
 どんな世界でも同じだと思うが、楽しみで始めたことであっても職業になったとき、楽みだけではすまなくなる。でも、そのなかには必ずよろこびが訪れるはずだ。そんなことを若い人に伝えたい、という思いが強くある。
 「世の中は、そんなふうにできていなかった」
 この言葉はいまでも使う。あの頃のように頻繁ではないけど、思わぬことにみまわれたり、意外なことに遭遇したとき、ああ、当たり前だけど世の中は自分に都合よくできている訳ではない、と肝に銘じるように口にしてみる。
 郷里に帰っていった友人が、いま何をしているのかは、ずっと知らない。