松平家の女中が、そう証言しています。李王妃殿下は梨本宮方子(まさこ)さまで、勢津子妃殿下の従姉です。

 李王は戦後、他の皇族の皇籍離脱とともに王族の身分を失った。だが、長い間、韓国への帰国もかなわず苦労を重ねながら、祖国の社会福祉事業に尽くした方です。昭和天皇も、李氏のことをずいぶんと気にかけていらしたそうです。昭和の皇室には、過酷な運命のなかで懸命に生きた方がいた。そんな時代でした。

 そして勢津子妃殿下も、モンペ姿で東海道線の三等車に乗って、御殿場と皇居を往復するなど、たくましく生活なさったようです。

 殿下は昭和28年に鵠沼の別邸で逝去されました。急いで伺うと、妃殿下は宮さまのご遺体にこうおっしゃったのです。

「宮さま。恒忠が参りました。御殿場では、お優しくして頂いて……」

 ご夫婦の、温かな会話でした。

 秩父宮本邸には、焼け残った日本間があります。畳と掘り炬燵(ごたつ)のある粗末な日本間を「リトル・ハウス」と愛称で呼んだのは、チャールズ英皇太子でした。「VERY COZY(居心地がいい)」と炬燵に潜り込んでは、お茶を召し上がり、親しい時を過ごしたそうです。

 歳月の変遷とともに、皇室は平和や祈りを象徴する存在となり、国民と新しい道を歩んでいます。ただ、皇室をめぐる警備は、物々しく強化されました。仕方のないことではありますが、皇族方の生き生きとした姿は、国民へ伝わりにくくなったようにも感じます。

週刊朝日  2017年1月6-13日号

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