戦後最悪の殺人事件が起きた。50分間に45人をメッタ刺しにし、死者19人、重軽傷者26人。抵抗できない重度障害者をねらった犯行だった。
植松聖(さとし)容疑者の家族関係、学生時代の様子を取材した。
事件の1週間ほど前、隣に住む男性(73)が植松容疑者と言葉を交わしている。植松家の雑草が自宅まで伸びてきたので「除草剤をまいていいか」と尋ねたところ、「自分でやります!」と笑顔で答え、友人2、3人を呼んで一緒に草むしりをしてくれたという。
近隣の住民たちは「自分から挨拶してくる好青年です」と口をそろえる。そんな植松容疑者の生い立ちを追ってみると──。
植松容疑者は1990年1月生まれ。登記簿によると、現在の自宅を91年1月に購入しており、1歳のころに東京都内の団地から、相模原市に移り住んだとみられる。父親は東京都の小学校の図工教師。母親は漫画家としてのキャリアを持つという。
地元の公立小中学校の出身。周囲の友人たちは「フツウの明るいヤツ」という印象を持っていた。同級生のバイク仲間が振り返る。
「人を笑わせるのが大好きで常にムードメーカー。お笑い芸人みたいに体を張る感じのノリで。いきなりバーンって倒れてみせたり、ヘンな顔をしてみせたり、面白いヤツだった」
中学時代は熱心なバスケットボール部員で、勉強もできるほうだったという。だが、後輩の一人は、植松容疑者の別の側面に触れる。
「人気はあったけど、結構ワルだった。すごく不良というわけではないけど、キレたら怖い。机や椅子を蹴るとか、とにかく物に当たり散らし、手がつけられなくなる凶暴さが怖かった」
その後、東京都八王子市の私立高校へ進学。高校でもバスケ部に入部し、友達も多かった。
高校時代からの友人は「明るい性格で、女の子にもわりとモテていた」。別の同級生も「勉強しないから、成績はよくなかった。けど、やればできるんです。大学受験は無理って話だったけど、直前にかなり勉強して大学には現役で合格した」。