記憶から、22歳の時の1年間が、すっぽり抜け落ちていると皆川猿時さんはいう。芝居でできた借金を返済するために、ひたすらアルバイトに勤しんだ。楽しいことなど何もない。ただ毎日のノルマをこなすだけの1年。
「その時期が、特別つらかったわけではないと思うんです。追いつめられていたのはむしろ、上京して東京乾電池の研究生としてレッスンを受けていた18歳の頃。岩松了さんが先生だったんですけど、岩松さんが後ろを向いた瞬間に僕がヘン顔をしてふざけたりしていたので、振り返った時にスリッパで叩かれたり(苦笑)。しょっちゅう『田舎に帰れ!』と叱られていました。当時の僕は、芝居の厳しさ、難しさをまったくわかってなかった。劇団員になれなかったのも、当然だと思います」
その後、もう一人の劇団に残れなかった研究生と組んで自分たちで台本を書き、3本の芝居を上演した。そのことで借金を作ってしまい、冒頭の“記憶のない1年”を過ごすことに。芝居というカルチャーのシャワーを全身に浴び、前のめりに進んでいった最初の4年間と、そのツケを払うことに明け暮れた無味乾燥な1年を経て、24歳で大人計画のオーディションに合格した。
「最初は、松尾(スズキ)さんから、『こうやって』って言われることに、無我夢中でしがみつくことしかできなかった。“生活のため”というのを言い訳に続けていたバイトを辞めたのが31歳のときでした」
そのとき初めて、“役者として食えるようになる”ではなく、“面白いことができる役者になる”ことを目標に据えた。でも、精神的には追いつめられたままだった。