ウェブを使った新しいジャーナリズムの実践者として知られる、ジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介氏。いまや日常となった「ネット炎上」の問題点を指摘する。

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 ある人物の言動が多くの人の怒りに触れ、ネットを通じて非難のコメントが本人に直接寄せられる状態が続く──これがいわゆる「ネット炎上」だ。対象は著名人から一般の学生、企業にも及ぶ。ネットには日々「炎上」の種がまかれ、ニュースで取り上げられる機会も増えている。もはや、日常的なニュースの一光景になったといっても過言ではないだろう。

 炎上による「実害」も年々大きなものになってきている。虫が混入した状態の商品の写真を消費者がツイッターに投稿したことがきっかけで大炎上した「ペヤングソースやきそば」の製造販売元「まるか食品」は、全商品の生産と販売の休止を発表、数十億円かけて設備を刷新せざるを得なくなった。年間売上高80億円の企業にとって、この件は大きな経営的痛手だったはずだ。

 なぜ炎上はなくならないのか。防ぐ方法はないのか。炎上が頻繁に見られるようになった5年ほど前から「いかにして炎上を防止するか」という観点の書籍が複数発売されているが、それらの本に共通している対策は「炎上しそうな話題にはそもそも言及しない」「もし炎上したらひたすら謝罪しろ」という2点である。しかし、それはあくまで対症療法的な対策でしかなく、炎上が日常化することで人々が自由に情報発信ができなくなるという根本的な問題の解決にはならない。

 
 こうした炎上による人々の情報発信の萎縮を「社会的コスト」と捉え、それを解決すべく炎上を統計的手法で定量分析し、原因と対策を提示したのが田中辰雄と山口真一による新著『ネット炎上の研究』だ。2人の計量経済学者によって書かれた本書が新しいのは、「実際に書き込んで炎上に参加しているのはネットユーザー全体の0.5%に過ぎない」という事実を様々な統計データを用いて明らかにしたことと、炎上が起きる原因を「誰もが相手に強制的に直接対話を強いることができ、それを止めさせる方法がない」と定義したところにある。

 かつては数百万人単位に情報を発信するには、新聞やテレビ、雑誌といったマスメディアを活用するしかなかった。しかし、現在はツイッターが生まれたことで、一個人であってもそれが可能になった──たとえそれが他人を陥れるための執拗な攻撃であったとしても、だ。しかも、気に入らないと思って抗議をする側はほぼノーリスクで、抗議を受ける側はすべてのリスクを引き受けなければならない。こうした非対称性が「0.5%」という一部の過激な攻撃者を産んでいる。

 炎上することが悪いのではない。多様な意見表明が可能な社会において、意見の対立は避けることができない現象だ。問題は、ごくごく一部の人が参加しているに過ぎないネットの「炎上」という現象に社会全体が翻弄されていることにある。本書で語られた問題意識を出発点に、社会全体でこの問題の処方箋を考える時期にきているのだろう。

週刊朝日 2016年5月27日号