「荒牧さんは年齢を感じさせないくらい元気な人。ジーパン姿で自宅の工場で精米した米を近所にネコ車で売り歩き、お得意さんもたくさんいた。ダンディーで、歌が得意で自宅の座敷でカラオケ教室を開いていた。地震があったときもレッスンの時間だったらしい。年配の女性の生徒さんが2人家にいて、一緒に生き埋めになったようです」

 地震直後、普段見えているはずの荒牧さん宅の2階部分が消失していることが、暗闇の中でもわかった。

「救助隊も間に合わないので、無事だった息子さんに近所の若者が5~6人加勢して、『おーい、おーい』と声をかけ、屋根に上って瓦礫を素手でどけていった。2人の生徒さんは呼びかけに反応があって助け出されましたが、荒牧さんは呼びかけても反応がなく、ようやく引き上げたときには意識がなかった」

 本城の天守閣は、最上階の瓦がすべてはがれ落ち、しゃちほこもなくなって無残だった。隣接する熊本大神宮は16日未明の地震ですぐ裏にある熊本城の石垣が崩壊し、社務所が完全に押しつぶされていた。社務所は戦前に建てられた歴史ある建物だったが、拝殿と本殿は無事だった。神社職員の福島敏子さん(68)が言う。

「熊本城の石垣は400年以上も長持ちしている。私なんてまだ68年だから、400年はすごい、みたいな話をしていたから、崩れるとは思わなかった。それがもう一瞬で……。大きい石の間に小さい石を詰めて崩れないようにしていたのが、その小さい石が社務所の手前まで転がってきた」

 益城町総合体育館に避難してきた吉村六行さん(79)がこう語る。

「近所のグラウンドに避難していたけど深夜に寒くなって、『これはいかんバイ』と。恐ろしかった」(本誌・小泉耕平、今西憲之)

週刊朝日 2016年4月29日号より抜粋