レリスさんのメッセージは「反戦」という側面で多くの共感を呼んだが、そのじつ「きみたちという存在を認めない」という、さらに深い怨念に根ざすものだ。きみたちは「死んだ魂」で、憎むにもあたいしない存在である。憎む価値がないものを憎むようなサービスはしない。
こう考えることで、レリスさんは自分と息子をはげまそうとしている。せいいっぱいの皮肉で、自分を確立しようとする。フランス人ジャーナリストの悲壮なメッセージである。
憎悪は愛することと裏おもてで、他者にかかわる心情である。憎むことは愛することに通じる。愛憎の感情に対立するのは「興味がない」ことである。
惚れた女に「あんたが嫌いよ」といわれても、工夫してうまくやれば「好き」になって貰える可能性がある。しかし「あんたに興味がない」といわれれば、どうやっても「好き」になって貰えない。「好き」と「嫌い」は同義で、その反対が「興味がない」である。レリスさんはテロリストに向かって「おまえらに興味がない」といった。
若い連中は仮想敵を作って、自己を確立する。悪徳政治家、御用学者、金ピカ芸能人、成金企業の社長など、気にくわない権力者を敵とみなすことで自分の立場を作ろうとする。
そういった仮想敵が高齢や不慮の事故や病気で没すると、攻撃する相手がいなくなって、さてどうしたらいいかわからなくなる。
若い連中に「おまえという存在が不用なんだよ」と指摘された私は目立たないように生きてきた。そのときになって、かつて攻撃した相手の心情がわかるのだが、もう遅い。批判される対象ですらなくなって、世間から忘れられていき、「あなたには興味がない」という存在になる。
私は性格が偏狭だったから敵が多かった。相手に嫌われればこちらも嫌いになる。敵と味方をはっきりしなければ気がすまぬ性分だった。六十五歳をすぎると身を低くして人とつきあうようになった。
はじめてイラクのバグダッドへ行ったのは一九七一年の秋で、澁澤龍彦氏と一緒だった。バグダッドから南へ九十五キロほど離れたバビロンの廃墟へ行くと、どんな場所にも銃を持った兵隊がいて、ホテル内部にも秘密警察がうろうろしていた。
バグダッドの南方四十キロにあるチグリス河東岸にあるクテシフォンで駱駝(らくだ)に乗った。イラクの駱駝にはコブがひとつしかない。
砂漠の空は濃い青一色で青い色ガラスを空いちめんにはりつけたようだった。あれほど苛酷な太陽の暴力というものに、日本ではお目にかかったことがなかった。
バグダッドから北西百二十キロにある古都サマッラでカリフの宮殿へ行き、黄金のモスクの偉容を見た。イランのシラーズをへて、カイロへ廻り、初めて体験する異文化に圧倒された。
それまで見たこともない異文化を体感することが旅の快楽である。自分のなかにある価値観が、カチリと音を立てて、一ミリほど変化する。精神が一瞬解体される。イスラム文化圏にはそれがある。
敵はテロリストであって、イスラム教徒ではない。テロと空爆の連鎖は多様な民族との共存を崩壊させる。
私にとってアラブ社会は「興味がある」文化圏で、いつの日かもう一度行けるような時代がくることを祈るばかりだ。
※週刊朝日 2015年12月11日号