前共産党議長不破哲三ふわ・てつぞう/1930年、東京都生まれ。東大卒業後、40歳で党書記局長に抜擢され、2000年に党議長に就任。06年に党議長を退任し、現在は党常任幹部会委員(撮影/写真部・大嶋千尋)
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前共産党議長
不破哲三

ふわ・てつぞう/1930年、東京都生まれ。東大卒業後、40歳で党書記局長に抜擢され、2000年に党議長に就任。06年に党議長を退任し、現在は党常任幹部会委員(撮影/写真部・大嶋千尋)
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 国民連合政府構想を掲げ、評価を大きく上げた共産党。しかし、その発案は以前からあったと不破哲三前議長はいう。

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 日本の国会では、長らく共産党の排除が原理になっていました。それが最初に崩れたのが、1998年です。当時、私は党の委員長で、主要な野党だった民主党の菅直人代表や自由党の小沢一郎党首と協力して、国会での共闘を始めました。

 いろんな形での協力がありましたが、同年の参院選で自民党が敗北して橋本龍太郎政権が退陣したあとは、首班指名で菅直人さんに投票しました。

 98年8月に私が日本外国特派員協会で講演をしたとき、記者から「いつまでも野党であることに甘んじるのか」と質問されたことがあります。それに私が野党共闘による暫定政権構想を提起したことも、かなりの話題を呼びました。ただ、その後に自由党が自民党との連立政権参加に舵を切ったことで、この構想の前提はなくなりました。

 そういった経験があったうえで、今の「国民連合政府構想」があります。今度は野党の間で「戦争法(安全保障関連法)廃止」という国民的大義をもった政策の一致点があります。この勢力で国会の多数を取り、国民的目標を実現する政府をつくろうという提案です。

 安倍政権は、これまでの自民党でも、三つの点で“異質の潮流”に乗っ取られた政権です。一つは日本の戦争を侵略戦争と認めないこと。二つ目は大企業奉仕の経済政策。三つ目は、憲法を蹂躙し、米国の軍事的要求に従っていること。

 昔の自民党は「保守総連合」で、国民の声に耳を傾ける政治家がたくさんいました。国会で政府の弱点をついた質問をすれば、あの田中角栄元首相でも、その場で政策の是正を約束し、実行したものです。

 意見や政策の方向性は違っても、橋本龍太郎さんなどは、人間的な付き合いができる人でした。私は69年に衆院議員になりましたが、小沢一郎さんとも同期当選で親しかった。今回の国民連合政府構想を好意的に評価してくれていると聞いています。

 今の自民党は、劣化してしまいました。小選挙区制で党が候補者の公認権を握ったことが大きい。しかも、今の自民党は極右の人たちが中心にいて、党内に多様な意見が出せなくなってしまった。たいへん危険なコースを歩んでいます。

 98年に記者会見で述べた政権構想の思いは、今でも同じです。私たち日本共産党は、いつまでも野党に甘んじている政党ではありません。

週刊朝日 2015年11月27日号