作家の太宰治は戦後、混迷の中で必死に生きる日本人の姿を描いた。その一つの短編小説「眉山」に、ある少女のエピソードが登場する。
主人公が馴染みの飲み屋で友人と雑談していると「基本的人権」が話題に上がった。すると女中の少女がすかさず、「それは、どんなんです? やはり、アメリカのものなんですか?いつ、配給になるんです?」と訊いてきた。「人絹(じんけん)」と勘違いしたのだ。
1945年8月の敗戦で日本はダグラス・マッカーサー元帥率いる連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に置かれた。この間、日本の民主化を掲げるGHQは憲法を始め、財閥解体や農地解放など様々な改革を断行した。明治維新以来のシステムを作り直す、まさに国家改造であった。
この時期に彼らが作成した日本国憲法に関する文書がある。教育改革などを担った民間情報教育局の資料で、敗戦後の日本政府がどう変わったかを説明していた。明治憲法では国民は天皇に仕える臣民とされ、しかもその天皇の背後で元老や重臣、軍が意思決定に大きな力を持った。新憲法は国民主権や象徴天皇制、三権分立を打ち出し、国の意思を決めるのは国民で、権力者を縛るのが憲法とした。
いわば日本民主化のビジョンだが、GHQ政治顧問部に勤務した米外交官ジョン・エマーソンは回顧録でこんなエピソードを紹介した。山梨県の学校を訪ねた際、ある教師とこんな会話があったという。
≪その先生は、私が戦争が終わったいまなにを教えているかと尋ねると、即座に「デモクラシー」と答えた。「ところで、あなたのいうデモクラシーとはどういう意味ですか」と聞き返すと、彼はこういった。「それはいま、文部省からの通達を待っているところです」≫
残念ながら当時の日本人は民主主義を十分に消化しきれていなかった。立憲主義など言葉は覚えても、それが自分に何を意味し、どう行動すべきか分からなかったのだ。
さすがにGHQも焦ったのだろう。1947年5月に新憲法が施行される前、GHQ政治部代表は会見して新聞に次のコメントを掲載させた。