オーディオ雑誌を眺めていると、よく「S/N比」という言葉が出てくる。「S」は「シグナル」、「N」は「ノイズ」の略で、「S/N比」とは、サウンドのなかのノイズの割合。平たくいえば、演奏のほかに雑音がなく、楽器の音が際立って聞こえるかどうかということである。
これはオーディオの性能を表す数値でもあるのだが、カタログに表記されてる数値「S/N比:○○○db」と、実際に音楽を聴いて背景に静寂を感じるかどうかというのは、(よっぽどひどい場合を除いて)あまり関連性がない。
元々の録音時に雑音が多い場合もあるし、マスターテープが劣化したり、CDになる過程でノイズが入ることもある。また、同じCDを買ったとしても、それぞれのオーディオ環境によって、ノイズが侵入してくる箇所がいくつもある。CDがやっかいなのは、アナログのようにサーサーとかパチパチとか、そういうあからさまに聞こえるノイズでなく、気づかないうちに音楽の佇まいを壊してしまう場合があること。あからさまに聞こえないから、みんな音が良くなったように思った。おかしいなと思った人もいたが、どこがおかしいのかわからない。首を傾げているうちに、アナログレコードはすっかり市場から姿を消してしまった。
ジャズを聴くうえで、S/N比は重要だ。いや、S/N比というより、まわりの静けさが重要なのだ。防音室で聴けというのではない。ある意味、無音状態よりも、静けさを感じたいから、わたしはジャズを聴くのである。
不思議なことに、ジャズ演奏は、無音よりも静かな空間を作り出す。ドラマーは、静かなバラードになると、ブラシを使ってザーザーとスネアドラムを擦りはじめる。静かに聞かせたいのなら、何もしないほうが静かなんじゃないかと思うのだが、あのザーザーが静けさを際立たせるのに一役買っている。
最も静けさを体現したミュージシャンとなると、やはりビル・エヴァンスをおいて他にない。あのヴィレッジ・ヴァンガードの騒がしい店内で、話し声や乾杯のグラスがぶつかる音をものともせず、「マイ・フーリッシュ・ハート」という世にも美しく、静けさをまとった名演を残したのは皆さんご存知のとおり。しかし、忘れてならないのが『エブリバディ・ディグス・ビル・エヴァンス』に収録されたソロ・ピアノの名演「ピース・ピース」だ。
「無音よりも静か」なこの一曲は、リスナー周辺の騒音までも調律し、誰もがそっと耳を傾ける。また、「ラッキー・トゥー・ビー・ミー」や、「エピローグ」と題された38秒ほどの美しいソロ・ピアノ曲等が収録されていて、エヴァンスのソロ・ピアノを、より印象づける形になっている。
後年、編成を増やせば増やすほど酷評され、「ピアノトリオに戻れ」「ソロ・ピアノでやれ」などといわれて、同様の企画を何度も繰り返したエヴァンスだったが、こと「静けさ」に関していうと、ほとんど失敗している。同じようにトリオで演ってもソロで弾いても、なんとなくまわりがガサガサして、聴いていても気が散ってしまうのだ。
スタジオ内に大勢のミュージシャンが居るから雑音が多いのではなく、あくまでも演奏の質、集中力によって「静けさ」は決まる。その証拠に『カインド・オブ・ブルー』のセッションでは、マイルス・デイヴィス六重奏団の一員として、見事な静寂を醸し出すことに成功しているではないか。どこかの国の「仕分け」みたいに、ただ人数を減らせばいいってものでもないのである。
【収録曲一覧】
1. Minority
2. Young & Foolish
3. Lucky To Be Me
4. Night & Day
5. Epilogue
6. Tenderly
7. Peace Piece
8. What Is There To Say?
9. Oleo
10. Epilogue
11. Some Other Time (mono)