徳川、前田、真田、織田、戦国を戦い抜いた4武将の子孫が集結。週刊朝日ムック「武将の末裔」の出版と、展覧会「大 関ケ原展」(テレビ朝日ほか主催)開催を記念した「武将の末裔座談会」が行われた。徳川宗家18代当主・徳川恒孝(とくがわ・つねなり)氏、前田家18代当主・前田利祐(まえだ・としやす)氏、真田家14代当主・真田幸俊(さなだ・ゆきとし)氏、織田家18代当主・織田信孝氏(おだ・のぶたか)の4人は学習院の先輩後輩にあたるが、祖先が歴史に名を連ねる彼ららしい学生時代のエピソードを明かした。
* * *
徳川:私は戦後第1期生です。1クラスが18人くらいで、まだ男だけでしたが、松平、松平、徳川、徳川と、4人いたんですね。で、毛利がいて。僕がいちばん仲が良かったのが、薩摩藩士で爵位をもらった調所(ちょうしょ)君でした。みんなだいたいそういう人たちばかりでした。
前田:私は常陸宮(ひたちのみや)様と同期だったんですけど、やっぱり徳川がいて、松平が2人いて、南部がいて鍋島がいて。歴史の先生なんかちょっと困っちゃうわけですよね(会場笑)。敵味方に分かれたりしたわけですから。
徳川:学習院というのはとっても歴史を教えるのが難しいんだと思うんですね。縄文、弥生時代のところでやたらに時間をとってですね、うまい具合に江戸時代に入るあたりで3学期の終わりになるんですよ(会場笑)。
野村:代々続くお家柄ですと、歴史はやっぱりお得意だったのでしょうか。
徳川:徳川の15代にところどころ穴が開いていて、ここを埋めろという問題があったんですね。どうしても一つわからないんで、「恒孝」って自分の名前を書いて出したんですよ(会場笑)。そうしたら、「君ができなくてどうする」と言って、死ぬほど先生に怒られたことがございます。
織田:僕は、初等科のときに隣の席が松平さんでした。たしか、後ろが徳川さんだったかな。同じクラスじゃないけど、島津さんがおりまして、彼とは今でも仲が良い。ついでにいうと、桂小五郎の子孫には木戸さんと和田さんがいるのですけど、和田家の子孫がやはり同学年にいて、親友の一人です。織田家と桂小五郎の子孫が時々飲んでは語り合っているわけです(会場笑)。
野村:華族の皆さんが通われている学習院では、上品な言葉遣いをされているんでしょうね。
徳川:とんでもございません。ただ、みんな言葉の使い分けはうまいですよ。父母や先生がいると「ございます言葉」で、いなくなると急に「てめえ、べらぼうめ、表へ出ろ」みたいなね(会場笑)。
前田:祖父母にはちゃんと「ご機嫌よう」、友達とは普通にして、会社だと「ばか野郎、この野郎」でやってました。バイリンガルとは言いませんけど、3種類くらいの日本語は使い分けていました(会場笑)。
(構成 朝日新聞出版・横山 健)
※週刊朝日 2015年4月17日号より抜粋