ジャーナリストの田原総一朗氏は、政府が規制をしてもイスラム国に向かうジャーナリストはこれからも出てくると予想する。その理由は?
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シリアに渡航しようとした新潟市のフリーカメラマンに対し、外務省が旅券の返納を命じた。カメラマンは「渡航、報道、取材の自由が断ち切られた」として強い不満を示し、法的措置を検討しているという。
確かに、憲法21条では言論、表現の自由が認められており、憲法22条では海外渡航の自由を認めている。その意味で憤りは当然であるが、シリアの「イスラム国」(ISIL)支配地域では湯川遥菜、後藤健二の両氏が人質にされ、殺害されるという事件が起きたばかりである。
菅義偉官房長官は旅券を返納させた理由について、「シリアに入れば、生命に直ちに危険が及ぶ可能性が高い」と指摘した。外務省は今回の返納をあくまで「例外的な措置」と位置づけ、菅氏も今後の対応について「個別の判断」としている。
「イスラム国」は、今後も日本人をテロの標的にする、と公言している。その意味では、外務省が旅券の返納を命じたのはわからないではなく、現に読売新聞や産経新聞は、それぞれ「シリアの危険考えれば妥当だ」「国民を守る判断は妥当だ」と社説で認めている。
だが「イスラム国」の支配地域には800万人もの住人が住んでいる。千回を超える爆撃の中で、住人たちは何を思い、どのような生活をしているのか。少なからぬ人々が知りたいと思っているはずである。こうした地域の住人たちを取材するのはジャーナリストの使命であり、危険を承知で取材を敢行するジャーナリストがいるのは、むしろ当然である。
一方、外務省の側としてみれば、たとえば後藤氏には3度にわたってシリアに行くことをやめるように説得したが、後藤氏はそれを聞かずに「イスラム国」の勢力下に入って人質とされたのであり、今回も渡航中止を説得したのに、本人が応じないので、旅券を返納させたのだということなのだろう。
いたずらに「報道の自由」を振りかざして危険地域に踏み込み、人質などになって社会を混乱させる、あるいは国家に迷惑をかけるようなことは慎むべきだという意見も少なからずある。さらに、「イスラム国」側の兵士たちを取材して、彼らの言動にいささかでも理解を示すような映像をテレビなどで流すと、国益を損ねる利敵行為だと批判するメディアもある。
確かに、今回の日本人2人の殺害、そしてヨルダン軍の戦闘機パイロットの焼き殺し方などは、人間の所業とは思えない残虐なテロ行為である。だが、絶対的弱者が絶対的強者に立ち向かう手段は、テロしか残されていないという見方もできる。いったいなぜ、「イスラム国」が残虐なテロ行為を繰り返すことになったのか。そもそも、なぜ「イスラム国」などという存在が出現したのか。
その原因は、イラク戦争にあるのではないだろうか。強引きわまるイラク戦争で、アメリカはフセイン大統領をつぶすだけでなく、イラクの行政、つまり官僚組織や軍人たちを放逐し、しかも、国民を納得させられる体制ができないままで引き揚げてしまった。そこで放逐された官僚や軍人たちが、政府に対抗するかたちでつくり上げたのが「イスラム国」なのだ。
「イスラム国」は、取材者を引きつける謎に満ちている。いくら各国の政府が規制しても、「イスラム国」の取材に向かうジャーナリストは後を絶たないであろう。
※週刊朝日 2015年2月27日号