幕末、蘭方医の緒方洪庵が大阪に開いた私塾「適塾」は、種痘の普及やコレラ治療などで日本の近代医学に大きく貢献し、福沢諭吉ら多くの人材を輩出。手塚治虫の「陽だまりの樹」の舞台になった。今も大阪に残る「適塾」で、かつての師匠と弟子の子孫である緒方洪庵5代目の緒方惟之(これゆき)氏(89)と福沢諭吉の玄孫・福沢克雄氏(50)が150年ぶりに対面した。

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福沢:緒方さんの家は、お医者さんが多いのですか?

緒方:うちは、一族のほとんどが医者です。洪庵から2代目の惟準(これよし)は明治天皇の侍医になっています。3代目で私の祖父・銈次郎(けいじろう)も医者です。父の準一も2人の叔父も医の道を進みました。叔父の安雄は今の天皇陛下の侍医をしていました。

福沢:そういう環境の中で緒方さんご自身も医者になられたのですね。

緒方:それとはなしに、医者にならないかん、という感じですわ。洪庵からつながった血の流れでしょうな。洪庵の命日6月10日は洪庵忌といって、毎年30人くらいの親族が集まって法要をする。そのときに父が詠んだ句がありまして、「一門の ことごとくが医 洪庵忌」。それくらい医者が多い。福沢家はどうですか?

福沢:うちの一族は、僕以外にテレビ業界の人なんていないですよ。変わっているのでは、福沢幸雄(さちお)というレーサーがいましたけど。なぜか、ほとんどの人が三菱系の会社に入っています。

緒方:ご一族が集まることはありますか?

福沢:毎年2月3日、福沢先生の命日に、東京・元麻布の善福寺(ぜんぷくじ)で集まります。一族だけでだいたい100から200人くらい。そのほかに、慶応の学生もたくさん来てお参りしていきます。まず、前日の夜中から応援部が来て塾歌を歌う。「落第しそうな学生は、3日の0時になった瞬間にお参りすると落第しない」という言い伝えもあります。

緒方:そんなことがあるんだ。

福沢:そこで土下座すると落ちる、とかいろんな説があるんですけどね。僕も夜中に行って、「福沢先生お願いします!」ってお参りしました。落第しましたけど(笑)。

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日  2014年11月7日号より抜粋

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