有馬家第16代当主の有馬頼央(よりなか)氏は、“バカ殿”のルーツについて言及した。

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 有馬家は、もともと大河ドラマ「軍師官兵衛」にも登場する赤松氏の一族でした。室町時代、温泉で有名な摂津の有馬郡が領地となって有馬を名字にしました。

 藩祖の則頼は、秀吉に見いだされ、関ケ原の戦いのときは東軍として戦います。息子の豊氏(とようじ)は、大坂の陣で徳川方として活躍し、徳川様から久留米をいただき、21万石の藩主となりました。私で16代目です。

 松竹新喜劇の「はなのお六」というお芝居で、顔を真っ白にぬりたくった殿さまが出てきます。志村けんさんの“バカ殿さま”のルーツとも言われていますけど、あれは有馬のお殿さまらしいです。お前んちの先祖が出てるぞって言われて見に行きました(笑)。

 変な描かれかたをするのは、歴代藩主のなかに変わり者がいたからでしょう。お堀をプール代わりにして、侍女たちと一緒に泳いだ方もいます。

 そのかわり、異能の人もいます。7代・頼ゆきは数学の大家でした。当時では最高レベルの数学の解説書を書いています。有馬家では、前例のないことをやる人が多いようです。

 祖父の頼寧(よりやす)は、大正時代から慈善事業や社会運動をはじめて、莫大な私財をつぎこみました。おかげで、家がかたむいて骨董品をあらかたお金に換えたりもしています。子孫からしたらたまりません(笑)。

 
 この世の中で生きていくには学問が必要だということで、貧しい人たちでも学べる学校を敷地内に建てました。屋敷より大きい学校をつくったって、物笑いの種だったらしいです。

 その後は、政治家になって、第1次近衛内閣の農林大臣になりました。結果的に無罪釈放とはなりましたが、戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘置されています。もっとも、農林大臣をやっていたおかげで、JRA(日本中央競馬会)の理事長になっていますから、まさに「人間万事塞翁が馬」ですね。

 競馬では「有馬記念」に、その名をのこしています。一年の最後は、人気投票で出走馬を選んで、みんなで楽しめる競馬にしましょうと、1956年「中山グランプリ」というレースを発案しました。しかし、第1回の中山グランプリからほどなくして、祖父は急死します。その功績をたたえて名を冠し、翌年から有馬記念となったそうです。

 私は小学校にあがってから、毎年、有馬記念に行ってます。アカネテンリュウの時代から記憶がありますからね。有馬記念の日は、JRAから迎えのハイヤーが来て、中山競馬場の貴賓室に案内されました。年末に親せき一同で行ってたんです。父が亡くなっても続きましたが、母が亡くなった年の秋に、JRAの理事と総務部長がやってきて言いました。

「今年限りでJRAからのご招待は、終わらせていただきます」

 え、なんで?って聞いたら、「孫の世代までは、ちょっとご案内できません」と。冷たいでしょ。

 とはいっても競馬は好きなので、有馬記念以外のレースもしています。毎年ほかのレースではマイナスなのに、なぜか有馬記念で取り返して、だいたいプラスマイナスゼロになる。不思議ですね。

(構成 本誌・横山健)

週刊朝日  2014年7月25日号

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