文筆家の北原みのり氏は、涙が与える印象について日本では男女間に差があることを指摘する。

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 韓国旅客船セウォル号の沈没事件について、朴槿恵大統領が「最終責任は大統領である私にある」と、謝罪し、静かに涙を見せた。

 改めて思う。韓国と日本、こんなに近い国なのに、なぜこんなにも違うんだろう。

 もしこれが日本だったならば、国のトップに立つ女性の涙など、絶対に許されないだろう。それみたことか、所詮は女なんて感情的だ、などという批判が続出するんじゃないだろうか。

 2002年、外相だった田中真紀子氏が涙を流した時、小泉首相が「涙は女性の最大の武器」と言ったのを思い出した。公の場での女の涙は、それだけで一大事だ。だからこそ女たちは、職場でどんな目にあったとしても、「絶対に泣かない」ように、多分、男以上に気を配り生きている。

 一方、男の涙は「男泣き」って言葉もあるくらいスペシャル感があり、女のそれとは別枠扱い。政治家の男の涙と言えば、古いところで言えば加藤紘一氏の仲間たちを思い出す。加藤の乱の時、テレビカメラの前で見せた男政治家たちの涙は、必死さと悲壮感が漂っていたし、涙そのものは批判されはしなかった。あれ、女政治家が集団で泣いたら、ただのヒステリー扱いされるところよね。

 もちろん、男涙が批判された例がないわけじゃない。一人しか思い浮かばないけど、経済産業大臣時代の海江田万里氏だ。自民党議員に進退を問い詰められ、思わず嗚咽しちゃってましたよね。珍しく男の涙が「不安定」扱いされたので印象に残っているけど、もしかしたら、男だからあの程度で済んだのかもしれない。原発事故で国全体が大変なストレスを抱えている中、女性大臣が嗚咽してしまったら……。ああ、考えるだけで、怖い怖い。

 日本は涙に厳しく、韓国は感情表現に寛容である、という文化の違いはある。それでも、涙の重さに男女差があり、女として、涙の取り扱いに注意深くならざるを得ない文化を生きている者としては、静かに涙を流す女性リーダーが、少し羨ましく見えたりする。不安定なのではなく、理性があるからこそ、流す涙もあるというものよ、と。女だって、泣きたいよ。

週刊朝日  2014年6月13日号