民主党政権時代の政策を「ばらまき」と批判していた自民党。政権が変わっても、いまだに残る。「伝説のディーラー」こと藤巻健史氏が批判する。

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 あんなに「ばらまき」だと非難したのだから、昔に戻して、ゼロにしてもいいではないか? なぜ減額にとどまるのだ? 政権を奪回した途端、お茶を濁した程度の削減で、非難した「ばらまき」を追認するとはあまりに情けない。

 高校無償化について言えば初年度、経済的理由による高校中退者が前年度よりも604人減った。約4千億円をかけて604人をサポートしたのだ。コストとリターンの度合いからして、許される出費なのだろうか?

 いま日本は歳出の半分を国債で賄っている。つまり、この手当の半分は将来子供たち自身が負担することでもある。教育費が減って親が豊かな思いをする対価として、子供たちが将来半額を「額に汗して返す」ということが許されるのだろうか? 義務教育の児童に対する手当てが半額以下の反面、高校生は2割強の削減でいいのかも気になる。所轄官庁が違うせいか?

 さらに問題は、旧戸別補償の見直しで浮いた財源を〈輸入に頼りがちな飼料用米の補助や中山間地の農地整備など〉に振り向けると考えているということだ(10月30日付の日本経済新聞)。高校無償化への所得制限導入で浮くという890億円も、文部科学省は省内の他部署に回したいようだ。一度増やした「ばらまき」の規模をだれも減らそうとしない。

 日本の財政は極めて厳しい。国の予算も家計とおなじで、収入の範囲で支出を決めるべきだ。そうしなければ財政が持つわけがなく、いずれは国民が地獄を味わう。支給増加の要求は大衆受けするだろうが、「削減! 削減!」と叫ぶ恨まれ役もいまの日本には必要だろう。

週刊朝日 2013年11月22日号