中東シリアの内戦は現在も泥沼化し、アサド独裁政権は反体制派を弾圧するため、サリンなどの化学兵器まで使用しているという。その製造に使う真空乾燥炉(正式には真空凍結乾燥機もしくは真空凍結乾燥装置)がなんと、日本から北朝鮮へ“密輸”され、シリアに持ち込まれたものである可能性が浮上している。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏が解説する。
* * *
「現在、シリア政府軍が使用しているサリンは、派遣された北朝鮮の技術者の指導の下、北朝鮮から導入した真空凍結乾燥機を使って製造されたものとされています」(韓国外交筋)
だが、北朝鮮も最初から真空凍結乾燥の技術を持っていたわけではない。では、彼らはどうやってその技術を会得したのか? 実は、北朝鮮は2002年に、日本から真空凍結乾燥機を“密輸”している。つまり、シリア政府軍が持つ化学兵器製造技術の一部は、日本から北朝鮮を経由してシリアにもたらされたものと考えられるのだ。
ここで日本から北朝鮮へ真空凍結乾燥機が渡った経緯を振り返ってみよう。まずは05年3月、山口県下関市の韓国籍のリサイクル業者が、駐輪場から自転車300台を盗んだとして逮捕された。北朝鮮に輸出するのが目的だった。ところが、この事件の捜査の過程で、ある情報がキャッチされる。真空凍結乾燥機が秘密裏に北朝鮮に輸出されていたという情報だった。
この事件を捜査していた山口・島根両県警は06年2月、不正輸出に関わった外為法違反容疑で、東京・湯島の日朝貿易専門商社Aと、同じく東京の貿易会社のB商事、それにその関係先を強制捜査。同年8月、A社幹部を逮捕した。
捜査当局の調べによると、真空凍結乾燥機1台(当時50万円相当)が横浜港から出荷され、台湾経由で北朝鮮に不正輸出されたのは02年9月のこと。北朝鮮の貿易会社から注文を受けたA社が、B商事に輸出の仲介を要請。B商事から紹介を受けた台湾の商社が、日本のメーカーの台湾の代理店を通じて真空凍結乾燥機を購入し、北朝鮮企業に引き渡した。この際、A社はB商事などに手数料を支払った。
なお、A社に発注した北朝鮮の貿易会社は、そもそも平壌の商社「HELM平壌」から注文を受けていた。この会社は北朝鮮の貿易会社「朝鮮綾羅(ルンラ)888貿易」の直属だった。同社はもともと人民武力部のダミー商社といわれていたが、現在では金正恩ファミリーの個人資産を管理する外貨獲得工作の大元締機関「39号室」の下にあるものとされている。すなわち、同社はまさに金ファミリー直系の会社だったのである。
ちなみに、朝鮮綾羅888貿易には横田めぐみさんの夫が勤務していた可能性が高い。この夫は以前、党35号室(現・軍偵察総局)という対外工作機関の職員だったが、二人の娘が記者会見で「父はルンラという会社で働いている」と証言していたからだ。
また、1977年に能登半島の宇出津(うしつ)海岸で拉致されたとされる久米裕さんの事件で国際手配中の金世鎬が、かつて朝鮮綾羅888貿易の代表団に紛れて来日したこともあった。金世鎬も35号室の工作員である。さらに、「97年頃の九州地方の覚醒剤押収事件で、北朝鮮側を仕切っていたのが朝鮮綾羅888貿易だった」などという情報もあった。いずれにせよ同社は貿易会社というより、特殊工作機関のようなものだと考えていい。
ところで、逮捕されたA社幹部は当時の報道によると、調べに対し、「注文を受けたとき『烽火(ボンファ)診療所で軍部が生物兵器などの研究開発に使う』と聞いた」と供述していたという。
烽火診療所は金ファミリーや党高級幹部が診療を受ける平壌市内の特別病院だが、軍の研究施設も併設された機関とみられている。しかも、この真空凍結乾燥機の輸出とほぼ同じ時期に、電気攪拌機やガンマ線測定機などの機材が日本から輸出され、烽火診療所内の研究施設に搬入されていたこともすでに判明している。
これらの情報からこの真空凍結乾燥機は一般的な工業用というよりも、やはり生物化学兵器の開発、もしくはその研究用に使用されたと考えるべきだろう。時間軸を整理すると、まずは02年に日本の真空凍結乾燥機が、北朝鮮の工作機関によって北朝鮮に“密輸”され、軍の生物化学兵器開発の部門に回された。そこでその技術が“研究”されるとともに、同様の性能の真空凍結乾燥機がコピー製造され、それがシリアへ売却されたとみるべきだろう。
つまり、日本の技術が不正に北朝鮮に盗まれ、それが回りまわって現在、シリアでの“虐殺”に悪用された可能性が高いのである。東西の“独裁国家”の犯罪に怒りを禁じ得ない。
※週刊朝日 2013年7月19日号