『ロッキー・ホラー・ショー』のことを初めて知ったのは多分高校生くらいだと思います。
当時、SFと映画と演劇に夢中になっていたのですから、そのアンテナにひっかかるのは当然なのですが、あんまりいい印象を持っていませんでした。
「女装のエイリアン? ミュージカル? なにそれ? どこがサイエンス?」という感じです。当時のSF好きとしては、科学的アイディアだったり、歴史のifだったり、論理のジャンプだったり、どちらかといえばそういう知的な匂いのする作品が好みだったのですから、『ロッキー』にピンと来なかったのも当然です。
それでも、やはり観ておかなければいけない映画の一本ということで、大学一年の時に名画座で観た記憶があります。
江古田文化だったかな。『ロッキー・ホラー・ショー』『ファントム・オブ・パラダイス』『ブルース・ブラザース』の三本立て。
この時も、『ロッキー』が一番よくわからなかった。「サイエンスフィクション・ピクチャー・ショー」っていうけど全然SFじゃないぞって感じでした。他の作品はデ・パルマにジョン・ランディスですから、映画的な好みから言ってもそっちのほうが好きだったし。同じカルト・ムービーでも、サブカル寄りとSF・アクション寄りの匂いの違いを感じたんでしょうね。
ただ、『ロッキー』の上映中、米をばらまいたり、新聞をかぶったり、ライターをかざしたりと、お客が参加するのには驚きました。
そういうのに詳しい友人に、『ロッキー・ホラー・ショー』が、もともとロンドンの小劇場ミュージカルだったこと、ゲイやドラッグ、B級映画へのオマージュに溢れていることなどを聞き、やっとこの作品の意味が理解出来た気がしたのです。
いい曲が多いのは確かなので、『ロッキー・ホラー・ショー』のサントラは学生時代には何度も何度も聞いてはいました。
いのうえや古田はこの作品が大好きで、劇団☆新感線がミュージカルをやる時の目標というか「こんなことがやりたいんだ」という指標が、この『ロッキー』でした。
その頃には、まあ、それなりに面白いなとは思っていたのですが、僕としては活劇要素皆無のこの作品は、やはりどこか「自分はちょっと違うな」という作品だったのです。
ミュージカルなら断然『ジーザス・クライスト・スーパースター』のほうが好きでした。神と人の対峙の話ですからね。嫌いなわけがない。
だから、今回、いのうえ&古田で『ロッキー・ホラー・ショー』をやると聞いても、「よかったね。楽しいんだろうな」とは思いながら、僕自身はちょっと距離感がありました。
観に行く日も「この歳で『ロッキー』でもないなあ。客席で米まいたり、新聞紙被ったり、ライターかざしたり、『タイムワープ』踊ったりできんし、してるのを観るのもちょっとなあ」と思っていたりしたのです。
が、芝居が始まりオープニング曲の『サイエンスフィクション』のイントロが流れてきた途端、目頭が熱くなる自分がいたのです。一緒に歌いたくなる自分がいたのです。
曲が進み「ああ、ここで新聞紙被りてえ」「ペンライトかざしてえ」「『タイムワープ』のステップ踏みてえ」と思う自分がいたのです。身体が疼くのです。
もう、観てる間楽しくて楽しくて。そういう自分に自分が驚きました。
なんなんだろう、この感覚。
醒めたつもりでいたのに、やっぱり自分も大好きだったんですね。
いのうえや古田を初めとする各キャストの『ロッキー』へのリスペクトぷりが半端じゃなかったのかもしれません。愛と幸福感に満ちた、感動とかそういうのは後には何にも残らないけど、でも「観てる間楽しかったよね、幸せだったよね」そんな気持ちが残る舞台でした。
「こんなことがしたいと思い続けてきた演出家と俳優が、今までさんざんオマージュをやってきた果てに、とうとう本物をやっちゃったよ」と感慨にふけりながら、ふと「あ、そうか。いのうえの『ロッキー・ホラー・ショー』と、俺の『仮面ライダー』って同じなんだな」と思い至りました。
若い頃から憧れて、「こんなことがやりたい」という作品そのものを自分が作っている。その状況の楽しさ嬉しさと、くすぐったさと「あれ、今までさんざんニセモノやってきたのに本物やっちゃったよ」というちょっとした戸惑いと。
その状況が重なっていることに気づいたのです。
縁というか流れというか、多分今、僕らはそういう立ち位置なのでしょう。面白いものですね。
でも「だったら」とも思います。この先の話です。
「だったら、やっぱり、いのうえは自分が納得のいく新作ロックミュージカルを作るべきだ」と。自分が憧れていた"本物"をやっちゃったんだから、次のステップに進まなきゃいけないだろうと思います。
きっと僕もそうなのでしょう。
じゃ、自分の場合、何をやればいいのかと考えてみたのですが、即座に浮かびませんでした。
やりたい仕事もやらなきゃならない仕事もあるのですが、人のことは見えても自分のこととなると、なかなかわからないものです。
何はともあれ、今は新感線の次回作を急がねばならないのですが。