たぶん、あったんじゃないかと思いました。
さやかさん。僕の言いたいことが分かるでしょうか?
「私にはそんな優越感なんてない」と思っていますか? 確かに、意識的な優越感はないと思います。
でも、「かわいそう。何かしてあげたい」と思うことは、とても気をつけないと相手を無意識に見下すことになるのです。
おそらく高校時代のA子さんは、ロンドンの時の僕のように、「見下されていると感じるけれど、話しかけてくれて嬉しい」という状態だったんじゃないかと思います。
そして、高校を卒業し、大学を経験し、社会人になって、対等に話してくれる人とA子さんは出会ったのでしょう。自分のことを不幸な家庭の出身で「かわいそう」だと思わない、アドバイスをしないといけないと思わない、身構えない人と知り合ったのでしょう。
だから、もうさやかさんと話したくないと感じたのだと思います。それを二人で夕食を食べながら確認したのです。
相手を「かわいそう」と思った段階で、対等な人間関係は結べないと思います。「あなたのためにしている」と思った場合も同じです。
さやかさん。きつい言い方になったでしょうか。さやかさんが優しい人だということは明らかです。そして、幸福な家庭で育った人だということも。A子さんのことを本当に心配していることもよく分かります。
でも、これからは、「相談があるの」と言われない限り、自分から「根掘り葉掘り」聞くことはやめた方がいいと思います。そして、アドバイスしても、それを採用するかしないかは、相手が決めることだと思った方がいいです。
蛇足なんですが、この無意識な優越感をこじらせた人を主人公に、アガサ・クリスティーが小説を書いています。『春にして君を離れ』という作品です。クリスティーですが、ミステリーではありません。
完璧な母親だと思っていた女性が、旅の途中、ふと自分と娘達との関係、夫との関係に疑問を持つ話です。