もちろん、それは、私たち一般の日本の庶民の気持ちとはかけ離れた行動だ。どうしてそういう行動をとれるのか。それは、安倍総理自身が、少数者や弱者と交わったことがないからではないだろうかという気がする。私たちの身の回りには、多くの恵まれない人たちがいる。自分自身が助けを必要としているという人も多いだろう。だから、庶民感覚の中には、必ず、少数者や弱者を思いやる気持ちが育つものだ。しかし、安倍総理にはそうした経験がなかったのではないだろうか。また、苦労人と言われる菅官房長官がそういう行動をとれるのは不思議なことだが、人間は、強者の立場についてから時間が経つと、弱者を思いやる気持ちを忘れてしまうということなのだろうか。
折しも、21日に引退を表明したイチロー選手が会見の最後に語った言葉が印象的だった。「アメリカに来て、メジャーに来て、外国人になったことで、人のことをおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた」(NHKより)
日本で英雄と崇められたイチロー選手でも、アメリカに渡った日本人という「少数者」の立場に身を置くことで、これまで感じたことのないような他者に対する深い思いやりの気持ちを持つことができるようになったということだと、私は理解した。
今、私たちに求められていることは、イチロー選手が感じた深い思いやりの心、寛容な心を再確認するとともに、安倍政権による日本人に関する負のイメージ拡散を、私たち一人ひとりが止めようと努力することではないだろうか。
私は、4年前、「I am not ABE」という紙フリップを出したが、今も同じメッセージを発信したいと思う。
皆さんも、それぞれの言葉で、「安倍総理と私たち日本人は違う」ということを世界に発信していただきたい。