さらに、深刻なのは、報道の自由度ランキングで順位を大きく下げた安倍政権が、東京新聞の望月衣塑子記者に対して、徹底的に取材妨害をし、さらには、誤った情報を流したり、些細な揚げ足取りをしたりして、望月氏の社会的な信用を貶めようとしていることだ。これは、単に報道の自由を抑圧するだけでなく、望月氏の人権を侵害する行為だと言ってもよい。政府に異論を唱えれば、一個人を組織ぐるみで徹底的に抑圧し、社会から抹殺しようとするような安倍政権の行動は、外国人記者たちの目にも異様に映っているのだろう。3月22日の菅義偉官房長官の記者会見では、ついにニューヨークタイムズの記者に「特定の記者の質問を遮ったり、快く思わない質問をけん制したりする意図があるのか」と露骨な批判的質問をされたのを見ても、日本に対する世界のイメージは、日々着実に傷つけられていると言ってもよいだろう。
このような安倍政権の行動は、日本、あるいは日本人に関する海外の評価にも深刻な影響を与える。信用を失うのは一瞬、取り戻すには一生などとも言うが、太平洋戦争で地に堕ちた日本への信頼を取り戻すために何十年もかけたことを思えば、今の安倍政権の言動はとても放置することはできない。
■安倍総理の後藤健二さん見殺し行動に対する抗議
そこで、思い出すのが、2015年1月23日のテレビ朝日「報道ステーション」での出来事だ。
その3日前の1月20日に、後藤健二さんがIS(イスラム国)に囚われている映像が公開された。安倍総理は、後藤さんが捕虜になっていて、後藤夫人が必死に身代金交渉を行っていることを知りながら、中東を歴訪していた。そして、あろうことか、エジプトで「イスラム国と闘う周辺各国に2億ドルの支援をします」と発言し、ISに対して、事実上の交渉中止と宣戦布告の宣言をしたのである。安倍総理は、さらにイスラエルを訪れ、同国国旗の前で記者会見を行うという火に油を注ぐ行動もした。ISはもちろん、あえて中東諸国全体の反感を買う行為だ。
私は安倍総理の言動は、世界中にとんでもないメッセージを送っていると考えた。もちろん、それが日本人の大多数の気持ちを代弁するものであれば全く問題ない。しかし、あの時、国民が、後藤さんが捕虜になっていることを知っていたら、安倍総理の行動を容認できる人はほとんどいなかっただろう。いや、多くの人が、「ちょっと待ってください。安倍総理の言動は、決して私たち日本人の気持ちを表したものではありません。私たちは、相手が誰であれ、闘う気持ちなどありません。アメリカと一緒に闘うつもりもありません。ですから後藤さんを無事に返してください」と表明したかったのではないだろうか。