球団経営での赤字を広告宣伝費として損金処理できるという国税庁の通達が行われたのは、1954年(昭和29年)のこと。プロ野球という“娯楽”を日本に定着させるために、親会社は“タニマチ的な存在”と見なされ、そのシステムは企業の節税対策の一環にもなった。つまり、球団経営は儲からないというのが日本での定説でもあった。

 しかし、社会のグローバル化が進み、海外の投資家らが日本企業の株式に巨額の資金を投入する。赤字を生むビジネスは株主への配当が下がる要因となるため、いくら日本では税務上のメリットがあるとはいえ、不採算の球団経営を続けることは世界を相手にするような大企業になればなるほど、日本だけの理屈として通用しなくなってくるのだ。

 2リーグ12球団から1リーグ10球団、将来的には8球団という“再編案”をオーナー側が出してきたのは、経営が成り立っていないという理由、野球ビジネスがその経済規模に応じていないということだった。まずは10球団、最終的には8球団へとコンパクトに凝縮していく必要があるという経営者側のシビアな判断がそこにあり、それが身の丈に応じた経済力、規模のパイに合わせた適性数ということだった。

 近鉄は当時、電鉄本体以外の事業、つまりレジャー施設などの「事業外収入」の悪化に悩んでいた。そこには、バファローズの存在も含まれていた。2003年、タフィー・ローズと中村紀洋の2人で合計年俸が10億円近くにも及ぶと言われていた。電鉄の従業員は数千円、いや数百円のベースアップにも四苦八苦。そのアンバランスさが批判の種となった。本体の経営がぐらついているときに、野球なんかやっている場合ではないという論調も強いものがあった。

 オリックスも、同じ関西を本拠地にする同リーグの球団と競合するより、1つにまとめた方がビジネス的には好都合で、ファン層も拡大できると目論んだ。そこで、球団経営に意欲を失っていた近鉄に、オリックスが手を差し伸べたのだ。これを後追いするような形で、ダイエーを軸とした「もう一つの合併」を行う方向性が発表されたのは同年7月のオーナー会議でのこと。西武・堤義明オーナー(当時)がこのプランを披露したのだ。

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1リーグ制でもチーム数はむしろ増えた