平成もついに最後の年となった。バブル崩壊後、日本経済は深刻な長期不況に陥ったが、発展著しい業界もある。その代表的なものがゲーム業界だ。ゲーム総合情報メディア「ファミ通」が発刊する「ファミ通ゲーム白書」によると、昭和から平成へと改元した1989年に約3500億円だったゲーム市場規模が、2017年には1兆5686億円。この30年の間に、実に約4.5倍に成長している。まさに平成は“ゲームの時代”と言えそうだ。AERAdot.では、その平成のゲーム30年史を、ハードを中心に3回に渡って特集。第2回はゲーム機が乱立した90年代半ばから振り返る。
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平成も半ば、いわゆる“空中戦”の携帯ゲーム機戦争は「ゲームボーイアドバンス」(2001)の出現で任天堂が制空権を得たが、据え置き型ゲーム機の“地上戦”の展開はどうか。
まず、「PlayStation」(1994、以下、プレステ)、「セガサターン」(1994、以下、サターン)、「NINTENDO 64」(1996、以下、64)の世代は、ゲーム機が乱立した時代でもあった。プレステとサターンが発売した1994年だけでも、実に6つのゲーム機が登場している。3月には松下電器の「3DO REAL」(7万9800円)、9月にはSNKの「ネオジオCD」(4万9800円)、バンダイの「プレイディア」(2万4800円)、12月にはNECホームの「PC-FX」(4万9800円)が登場しており、「プレイディア」を除く全てが約5万円以上の価格帯となっている。
翌95年には、7月に任天堂の「バーチャルボーイ」(1万5000円)、カシオの「ルーピー」(2万5000円)の2機種が、96年には64のほかに、バンダイの「ピピンアットマーク」(4万9800円)が登場している。欧米ではアタリの「Atari Jaguar」(250ドル)も93年に発売されており、本稿で挙げたものだけでも12のハードがこの短期間に出揃っているのだ。以降、現在に至るまで、ここまでゲーム機が乱立した時代はない。
最終的には、プレステ、サターン、64の3つ以外は“負けハード”として扱われることが多いが、先進的な試みもあった。例えば「3DO REAL」は値段こそ高かったものの、当時の最先端の3Dポリゴンの描写能力があった。「ピピンアットマーク」はアップルコンピュータと共同開発し、フラッシュメモリとインターネット回線のアナログモデムを本体に内蔵していた。また、「バーチャルボーイ」は現在のVRを思い浮かべるゴーグル型のゲーム機で、現在主流の携帯用ゲーム機「ニンテンドー3DS」に通じる立体視の技術が用いられていた。だが、画面が赤一色で視認性に問題があった。