東京大など難関大学に進むために日比谷に入りたい。成績優秀な中学生の高校受験パターンとして、第1志望が日比谷、第2志望が開成、武蔵、早稲田大学高等学院、慶應義塾、東京教育大学附属、東京教育大学附属駒場であることが少なくなかった(当時、武蔵は高校からの募集があった。東京教育大学は現在の筑波大学)。

 当時、日比谷ではどんな授業を行っていたのか。193人の東京大合格者を出した年の前年、同校の進学指導主任教諭、加川仁氏が『必勝大学受験法』を著している(63年、講談社)。サブタイトルに「<東大入学日本一>の勉強法をあなたに」とある。その一部を引用しよう。

「わたくしどもは、補習授業をしたり、超学年制をとったりすることが、高校としてまちがっているだけでなく、受験のためにも決してプラスにはならない、と信じています」

「まず、本校ではテストの回数を極力減らしている(中略)テストをたびたびすることは、自発的学習のじゃまになる」

「一、二年生に対しては、入試関係の話は極力避けるのが方針」

 別の日比谷の教員は、東京大193人合格についてこんな談話を寄せている。

「東大の合格者数は昨年に比べ二六名ふえたが、その理由は低調だった昨年の現役(ことしの一浪)が活躍したからであろう。事実、一浪合格者は八九名から一〇七名にのぼった。本校は現役の生徒には、受験のための補習授業はいっさい行なわない。学校での学習はいわゆる授業徹底主義で、一科目一〇〇分の授業をフルに活用する。わからないことは最後まで突っ込み、授業の内容は相当に深い。この授業徹底主義こそが、受験勉強としてもっとも大切なことであろう」(「螢雪時代」64年5月号)

 同年、東京大に合格した日比谷高校出身者は、通信添削の増進会(現・Z会)機関誌の座談会でこう話している。

「現代文は授業がたいせつだと思います。ぼくたちは、自分で一つの作品を選び、それを授業時間のとき、研究発表をするんです。生徒同士でやっているから、親しみもあって、先生がやるときよりも活発に質問が出る。そうしたことが力になりました」(「増進会旬報」64年8月1日発行)

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