「小島さんみたいな有名人になりたい!」という夢を送ってくれたのは小6の男の子。数多くの子ども向けライブを開催し、YouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」で大人気の小島よしおさんが、子どもの悩みや疑問に答える本連載。「そんなの関係ねぇ!」の誕生秘話から死亡説が出るほど仕事が減ったときの過ごし方、夢をかなえるために大切にしていたこととは。
【写真】大学4年間で「友達ゼロ」だった早稲田卒芸人はこの人!* * *
【よしおの答え】
りくとピーヤ、こんなにうれしい相談を送ってくれてありがとう!! 僕みたいになりたいだなんて、芸人になって本当によかったなあ。有名人っていっても僕みたいな芸人や、俳優、ミュージシャン、SNSから有名になるYouTuberやTikTokerやインスタグラマー……いろんなスタイルの人がいるね。りくとピーヤはどんな有名人になりたいのかな?
よしおも有名人になりたくて、お笑い芸人になったんだ。よしおが今のスタイルになるまでどんなことがあったのかを、まずは話そうかな。よしおの人生を、ひとつの例として聞いてみて!
よしおは小学生のころから目立ちたがり屋。帰りの会でコントをやったりしていたよ。中学生になっても応援団長や生徒会長とか、とにかく人前に立つのが好きだったんだ。大学ではお笑いサークル(お笑いが好きな学生が集まる部活みたいなものだよ)に入った。そこで仲間たちとコントを作って発表していくうちに、人を笑わせることの楽しさにのめり込んでいったんだ。そうしたら大学のお笑いサークルの大会で、僕が参加していた5人組のお笑いユニット「WAGE(わげ)」が芸能事務所にスカウトされたっていうわけ。仲間の考えたネタでスカウトされて、僕は今思うとラッキーだったなあ。
でも、大学を卒業と同時にユニットは解散。事務所も離れて、ひとりで活動するピン芸人になったんだ。僕はネタを考えるのが苦手だったから、芸人を続けるかすごく悩んだ。でも、お世話になっていた先輩が「続けてみれば?」って言ってくれたんだ。そして「俺の家の近くに引っ越してきなよ」って。その先輩といると楽しかったし、お笑いの勉強にもなるから、僕はすぐに引っ越した。
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