さて、そうした状況をどのように乗り切ればいいのでしょうか。「知とは何か?」という弟子の問いに対する孔子の回答を紹介しましょう。
「民の義を務め、鬼神(きしん)を敬して之(こ)れを遠ざく。知と謂(い)う可(べ)し」(雍也第六)
「人間を超えた存在(=鬼神)に対しては、尊敬を捧げつつも、ある一定の距離を保ち、関わらずに、まず人間の次元でやるべきことは何かを判断して行動する、それこそが知恵というものだ」という意味です。
「敬遠」の語源となった言葉で、現在は「遠ざける」という意味合いが強くなり、「うわべでは敬っているように見せつつも、実際は関わりを持たないようにする」という意味で用いられるようになりました。
「義理の母の魂がこもっているようで捨てられない」という相談者さんの気持ちは、まさに孔子の言う人間を超えた「鬼神」に対する気持ちと言い換えることができるでしょう。義理の母に対して、お礼など、人としてしなければならないことはしましょう。でも、趣味が合わない人とはうまくやっていけるはずもないので、「尊敬しつつも、一定の距離を保って可能な限り近づかない」のが一番だと思います。
相談にありましたが、年末年始の帰省の時、娘さんに、趣味の合わない服など着せる必要はありません。「ありがたくちょうだいした」と、義理のお母様に言うべきお礼をさりげなく伝えるだけで、手作りの洋服についての話題になりそうな場面になったら、すかさず話題を逸らすなど、知恵を使うのが賢明なのではないでしょうか。
もちろん、孔子は、君子のあるべき姿として、「君子は義以(も)って質と為(な)し、礼以って之(こ)れを行い、孫(そん)以って之れを出(い)だし、信以って之れを成す。君子なる哉(かな)」(衛霊公第十五)とも言っています。「君子は、あらゆる事柄に対して正義を本質とする人。礼儀にかなうように行動し、謙遜した言葉で相手に接し、偽ったり欺いたりすることなく、信義の心をもって完成する。かくて君子である」という意味です。
次のページへ「受け身」の感情から抜け出すには