2021年、開成高校からの東京大合格者数は144人を数えた。これで1982年から続く同校の東京大合格者数1位が40年続いたことになる。

 開成が初めて東京大合格者数1位になったのは1977年のことだ。

 同年の卒業生が開成中学に入学したのは71年だが、この年の東京大合格者数の上位校を見てみると、東京教育大学附属高校(現・筑波大学附属高校)が124人で1位となっている。1960年代後半までトップの座に君臨していた都立日比谷高校は57人で、前年に比べて42人も減少している。これは、67年に都立高校入試に導入された学校群制度によるものと言っていい。

 この制度では、受験生は「学校群」という複数の学校への合格は決まるが、進みたい学校を選べない。したがって、当時の都立の進学校(日比谷、西、戸山、小石川など)に入学できる保証はまるでない。この頃の成績優秀な小学生は、将来のことを考え、高校受験で行きたい学校を選べないならば、中学受験で難関校の東京教育大学附属、東京教育大学附属駒場、開成、麻布、武蔵に進んだほうがいい、と考えるようになった。これらの学校は1970年代、東京大合格者を増やしていく。

 だが、開成の躍進は、学校群制度による影響だけではなかったようだ。

 71年は、開成にとって大きなターニングポイントとなった年だ。同年4月、開成の目と鼻の先に国鉄(現・JR東日本)の西日暮里駅が開業したのだ。山手線、京浜東北線の停車駅である。

 西日暮里駅は69年12月、営団地下鉄(現・東京トロ)千代田線の停車駅として開業している。同線は北千住駅、大手町駅間での部分開通だった。その後、71年4月には、北千住駅で千代田線と国鉄常磐線が相互乗り入れするようになった。

 こうした新駅誕生、新線開業、相互乗り入れ実現によって埼玉県の川口、浦和、大宮方面、千葉県の柏、松戸方面から開成に通いやすくなったのである。

 そして、71年の開成中学入学組が東京大を受験した77年、同校にとって史上最多(当時)となる124人の合格者を出した。76年は76人だったので、一気にプラス48人だった。たった1年でこれほど増やしたケースは他にあまり例がない。

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小林哲夫
教育ジャーナリスト 小林哲夫

1995年より『大学ランキング』の編集者。『筑駒の研究』(河出新書)、『学校制服とは何か その歴史と思想』 (朝日新書)、『女子学生はどう闘ってきたのか』(サイゾー)、『旧制第一中学の面目』(NHK出版新書)、『東大合格高校盛衰史』(光文社新書)、『早慶MARCH大激変 「大学序列」の最前線』(朝日新書)など、教育・社会問題についての著書多数。

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