放送大教授の原武史さんは、東京大合格者数における開成躍進の1つの要因として西日暮里駅の存在に注目している。

 政治学者の原さんは、「鉄学」者として、鉄道の盛衰と政治、経済、文学、教育などとの関係を解き明かし、社会のありようを追究してきた。自身の経験から、次のように話す。

「1975年、わたしは開成中学を受験しましたが、当時、東久留米に住んでおり、池袋で山手線に乗り換えて西日暮里は5つ目で『池袋からこんなに近いんだ』『学校は駅の真ん前なのか』とびっくりしました。池袋が起点の東武東上線や西武池袋線の沿線からでも通いやすくなりました。国鉄の西日暮里駅が開業するまで、日暮里、あるいは田端から歩かなければならなかったことを考えると、とても便利になったわけです」

 その後、関東地方の交通網の整備が進み、開成にとって追い風となった。

 1978年、千代田線は代々木上原駅まで延伸し、小田急線と相互乗り入れができるようになる。これによって、開成は神奈川県(相模原、厚木、藤沢方面)からも優秀な生徒を集められるようになった。78年の開成中学入学生が東京大を受験した84年に、東京大合格者は134人を数えた。40年連続1位の3年目であり、その後、合格者数を200人台に乗せることもあり、2位以下を寄せつけなかった。

 原さんは続ける。

「小田急線沿線に住む小学生からすれば、距離的には麻布のほうが近い。しかし、麻布の最寄りの広尾駅まで行くためには下北沢で井の頭線、渋谷で山手線、恵比寿で日比谷線に乗り換えなければならず、全部別会社の路線なので定期代もかかる。しかも広尾駅から10分ほど歩きます。開成は代々木上原での千代田線への乗り換えもスムーズで、直通なら1本で西日暮里に着ける。しかも、学校は目の前です。これは大きいと思います。

 一方、武蔵の最寄りの江古田駅を通る西武池袋線沿線には、かつては東大や早大の教授などが多く住んでいましたが、いまでは東横線や田園都市線のほうにインテリ層が多く住んでいる。インテリ層の子弟はここから麻布、開成に通う。武蔵が東京大合格実績でふるわなくなったのは、西武線文化の衰退が関係しているかもしれません」

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