――見事に合格して乃木坂46のメンバーになってからは、勉強とアイドル活動の両立がたいへんだったでしょうね。
乃木坂の活動で学校を休んで授業に出られないこともありましたし、普段の勉強時間も削られました。電車の中で英語のリスニングをしたりして勉強時間を補いましたけど、明らかに睡眠不足でしたね。首が前に折れるくらいになって寝ているところを友達に発見されて、最寄り駅に着いたときに起こしてもらうこともありました。お弁当を昼休みにがっつり食べると眠くなるので、短い休み時間の時に少しずつ分割して食べて、昼休みは、休んだ授業のノートを友達から借りて写させてもらったり、先生に質問しに行ったりしていました。
そんな毎日でしたから、高1のときの年間成績は7位。初めて2位以内に入れず授業料免除を逃しました。高校に進むときに進路別のクラス分けがあって、私は高1で国公立コースに進んだのですが、科目も多いし講習もたくさんあって大変だったので、高2からは私立文系に移りました。
――慶應義塾大学の環境情報学部に進まれたのは、中学受験に合格したときの、お父さんとの「国公立か早慶」という約束が大きかったんですか。
父がああいう約束をしたのは、合格してからも気を引き締めて勉強しなさいというメッセージだと思います。私は一人っ子ですが、両親は、だからといって甘やかしてはいけないと思ったのか、厳しく接していたと思います。自分の部屋をもらったのも高2になってからで、それまではリビングの隅で、両親がテレビを見ているのを背中で聞きながら勉強していました。
進路を決めたのも、慶應だからというより、環境情報学部の、文系と理系の区別ないリベラルアーツの学びが、いろいろなことに好奇心を持つ自分に合っていると思ったからです。父の影響で子どものころから歴史好きで、今もそれが仕事に結びついています。史学科に行って専門的に勉強して研究者になりたい気持ちはありませんでした。他の大学も同じような学部を受けていて、その中で慶應と縁があったから入学したという感じでした。
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