――死ななくて本当によかったです。その気持ちが落ち着いたきっかけは何だったのでしょうか?
中川 きっかけはいくつかあります。16歳の誕生日、母が私の大好きなジャッキー・チェンの生まれた香港に連れて行ってくれて、そこで偶然本人に会うことができたんです! 当時足を骨折されていたのに私のところまで歩いてきてサインをして、ハグまでしてくれて。「ローファー事件」で先生に絶望していたから、大人のやさしさに感動したし、「いつかもう一度、ジャッキーに直接ありがとうと言いたい!」と、前向きな気持ちになれました。
――大人をもう一度信じるきっかけにもなったんですね。ほかにはどんなことがありましたか?
中川 18歳でお仕事をするようになって、尊敬する漫画家の楳図かずお先生にお会いできたことも人生の転機になりました。別れ際に先生は、「お疲れさま」ではなく、「またね」と言ってくれたんです。死なないで生きていれば、出会える人やラッキーがあるんだなって。どん底にいた私にとって、めちゃくちゃ輝く3文字に思えました。それから、子どものころから好きなポケモンのお姉さんになれたとか、どんどん夢がかなっていって。今の私が笑顔になれたのは、あのころの私が耐えたからだと、過去の自分に感謝するようになりました。
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――「きっかけはいくつかある」とおっしゃっていましたが、それを私は「上書きチャレンジ」と呼んでいます。いじめや不登校の当事者たちはみんな、つらかった記憶をアップデートしようと試みている。1回で忘れられるものではなく、それはそれは高い山で、毎回がチャレンジなんだと思います。
中川 そうですね。いじめで受けた心の傷は一生消えません。でも、安心できる場所に身を置くことで、少しずつ違うことに心を向けられるようになります。通信制の高校に進学しても、最初の時期は毎日通うことができなかったんです。学校の近くまで来たけれど、なんとなく足が向かなかった日もたくさんありました。そのとき、帰り道をいつもと変えてみたら、電車の中から見た夕暮れの空がものすごくきれいで。「ああ、ちょっと角度を変えるだけで、ずいぶん息が吸いやすくなるんだな」と感じた瞬間でした。
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