気がつくと、高2に進級するときには、人間関係の苦しさがなくなっていました。
母は、いつも僕に任せてくれていました
――やっと楽しい高校生活に……。
そうなんです。そこで、剣道部と同時に音楽活動も始めました。友達になってくれた隣のクラスの子がアコースティックギターを持って歌っていて、ふたりで路上で歌いはじめたんです。
学校の学園祭にも出演して、当時のいわゆる「1軍」……いけてるグループのバンドと対バン(ひとつのイベントに複数のバンドが出演すること)したり、同じステージに上がったり。高3になってからは、その子たちが僕たちの路上ライブを見に来てくれるようになりました。
――その間、お母さまは見守ってくれていたのですか?
高1のときは口にこそ出しませんでしたが、学校で辛い状況であることが思いきり顔に出ていのたで(笑)、相当心配したと思います。
でも、悩んでいるであろう息子が剣道部に入って音楽をはじめて……と変わってきたことで、多少安心したのではないでしょうか。「どうしたの?」「大丈夫?」などとは決して言いませんでしたが、遠くから見守ってくれていることはよく伝わっていました。
アコギも母が買ってくれました。路上ライブも夜は心配だったと思うのですが、なにも言いませんでしたね。こんなふうに、いつも任せてくれていたんです。
結局、かなり友達をつくって高校生活を終えることができました。今振り返ると、ものすごくしんどかったけれど、あのときに人間関係に悩まなかったらずっと空気が読めない人間になっていたでしょうね。
「好き」「得意」が芽生えたときのために、準備しておこう
――大学時代も音楽は続けたのですか。
大学では、軽音楽部に入りました。ジャズやソウル、ファンクやR&Bなどさまざまなジャンルを演奏していたので、管楽器も並ぶ10人所帯でライブに立つこともよくありました。プロを目指す人もいて、大きな刺激を受けました。大勢の仲間と音楽を存分に楽しめた時代。同時に同じコンビニで4年間バイトを続けたのもいい思い出です(笑)。
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