それでも僕に制限をかけるということはなかったんですよ。もちろん「警察のご厄介にだけはなるな」みたいなことは言うけど、だからといって縛り付けることはしなかった。子役をやるときも、俳優をやるときも、結婚する時も俺に決めさせてくれた。それは父も同じスタンスで、僕が決めたことをただ見守って応援してくれて、謝らなあかん時だけ謝りに行ってくれました。僕が両親に一番感謝してるのは、そこなんです。だから僕も子どもたちのレールは絶対敷かないと決めてるんです。

――お子さんにはどう伝えているんですか?

 とりあえず、やりたいことはやりまくれ、と。当然、学生のうちは学校に行くとか勉強するとか、やらなあかんこともあるじゃないですか。それをやらんでも「これで食っていける」みたいな確固たる何かを掴んでいたら、学校とか勉強にこだわる必要はないんだけど「ある程度アベレージは取っといた方がええんちゃう? その辺は自分で考えや」というのは言ってますね。

 4人の中だと一番下の子は勉強ができるけど、もうゲームばっかりやってるんですよ。この先どんな大人になるんやろとは思うけど、そこも見守ってるところです。

 ま、一人一回ずつくらいは親に迷惑かけるのは全然ありやから、そろそろかけや、とも思うんですけどね、まだないんですよ。

スーパー銭湯などで地道な営業活動を始めたころの酒井さんと子どもたち

来年50歳、一番気になるのは子どもたちの目線

 ――逆にお子さんから教えられたことはありますか?

 奥さんがすごいのはもちろんなんだけど、やっぱり4人の存在が自分を親にしてくれましたよね。あの人たちがいてくれるから、こっちも道をそれず、見られて恥ずかしくないようにしっかりやらなあかんなと思う。純烈のために家族のために、もうひと踏ん張りできる「重し」になって、俺を育ててくれているのはすごく感じます。そういう意味では、この先、純烈としてどう進んでいくのか、最終的にどう着地させていくのか、人生をどう閉じていくのかも含めて、子どもたちの目を1番気にしてると思う。

次のページへ純烈の物語はつづく…
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