「目的意識」を持つことで、人は主体的になります。その目的を達成するために頭脳が活動し、観察力も高まるので、得られる情報量も圧倒的に増えるのです。
このように、目的を持つことはとても大切なのですが、日々の生活の中で行動がルーティン化、パターン化されていくと、目的を持って行動するという概念そのものがなくなり、何となく活動してしまいます。
そのようなときに問いかける言葉、それが、「何のため?」なのです。
たとえば、次のような問いかけです。
<親から子どもの場合>
- 「この勉強は、何を学ぶためにやっているのかな?」
- 「片づけって、何のためにやるかわかる?」
- 「このドリルは、何のためにやっていると思う?」
- 「あなたが嫌いなニンジン、何のために食べたほうがいいと言っているかわかる?」
親から子どもの場合には、注意点が2つあります。
1 )子どもが小さいときは、「目的」という概念自体がわからないため、「何のため?」と聞いても、その意味はわかりません。ですから、目的の意味がわかる年齢になったら、使うようにするといいでしょう。
2 )親自身、目的がわかっていない場合があります。たとえば、子どもに「勉強の目的ってなに?」と聞かれたら、どう答えるでしょうか? 「算数の計算問題の目的は?」「理科は何のために学んでいる?」なども、おそらく答えに窮することでしょう。そのような場合は、こう答えてみましょう。
「お母さんも昔勉強やってきたけどね、何のためにやっていたかわかんなかったんだよね。
でも、世界中の人が、昔も現在も勉強しているということは、何か意味があるということじゃない? だって、もし意味がなかったら、とっくに『勉強』なんてなくなっているはずよね。だから、何のために勉強をやっているかには、絶対に答えがあるはずだよね」
「自分(親)はわからないけれど、絶対に目的があるはず」ということを伝えるだけでも、子どもは考え出します。
もちろん、適切な回答ではないかもしれません。しかしここで少なくとも、子どもは「目的」というものがあるはずだということを学びます。それで十分なのです。
※『同じ勉強をしていて、なぜ差がつくのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から
石田 勝紀