吉藤 おなかがすぐ痛くなってしまうんです。今なら「ストレス性腹痛」って診断がつくかもしれないけれど、当時はわからなくて、検査入院したり自宅療養が続いたり。友達からは仮病だ、ズル休みだって言われました。確かに、夜に折り紙をしているときは元気なのに、翌朝は腹痛で起きられなかったりするわけだし。
高濱 心身がちぐはぐだったんだ。
吉藤 しかも体が弱いくせにやんちゃだった。学校に行ってもじっとしていられなくて、すぐ脱走する子どもでした。みんなと同じことをするのもイヤ、教室にいるのもイヤ。
高濱 毎年一定の割合でいるんだよね、そういう子。小さいうちはとくに。
吉藤 そうなんです、小3くらいまでは自我がどうこうではなく、とにかく自由になりたくて。だから浮いていましたね。
高濱 天才に多いんですよ。
吉藤 ただ、そのうち大好きだった祖父が亡くなって、それがけっこうダメージとなってしまい……。
高濱 一緒に暮らしていたんですか?
吉藤 はい、祖父母ともに。祖父は国鉄でSLの運転士だったので、家には機関車の模型がたくさんありました。祖父は私をバイクの後ろに乗せて、粗大ゴミを拾ってきて修理するのが得意で、私も手伝ってました。楽しかったなあ。折り紙を教えてくれたのも祖父母です。私は工作も大好きで、小1のころから、はんだごてを使ってましたよ。実は今日もさっきまでやってました。
高濱 映画のワンシーンみたいですね。オリィさんは、おじいさんの愛情が太い支えになっていたんだね。
吉藤 はい。それでさらに体調を崩して休みがちになり、家に引きこもるようになったんです。学校には、居場所と役割を提供して応援してくれた先生もいたけど、パジャマ姿の私を無理やりかついで学校に連れていこうとする先生もいて。結局中2くらいまで不登校でしたね。
高濱 そうか、中学もか。
吉藤 不登校の最中に、祖母も心配しながら亡くなったのもしんどくて。
次のページへ不登校になって父親と母親はどう接した?