英語が話せるまで1年以上かかったが、気づけばイギリス人の友だちと同じようにテレビの歌番組を見て、ソルト&ビネガー味のポテトフライを食べ、ドールハウスで遊ぶようになった。英語という言葉を手に入れたことで、未知の世界の扉が次々に開いたことを実感した。
「高校時代にアメリカ留学を決意したのも、今度はアメリカ英語を学びたいと思ったからです」
ホームステイ先は中西部ウィスコンシン州の小さな町。冬には2メートルの雪が積もり「肺が凍るから、深く息を吸っちゃダメ」と言われるような場所だった。そこで久保さんはホストファミリーとの意思疎通に悩み、ストレスで体重は10キロ増え、白髪も生えた。
「それでも、このときに出合った文化や価値観、考え方に大きな影響を受けました。今の久保純子が作られたと言っても過言ではありません」
日本の大学に進学した久保さんは、英語の教員免許を取得した。「言葉」で広がる世界を子どもたちに伝えたいという思いからだ。しかし、教員にはならなかった。
「教育実習で不安になってしまったんです。何の経験もない未熟な自分が、子どもたちにどんな影響を与えてしまうのだろう、と。社会人になって経験を積んでから、教育の場に戻ろうと考えました」
就職先にNHKを選んだのは「セサミストリートのような番組を作りたい」と思ったから。しかし人気アナウンサーの久保さんに、番組制作の機会は訪れなかった。
「長女の出産を機に、本来の夢に立ち戻ろう、子育てしている母親の感覚をいかせる番組を作ろうと思って、NHKを退職しました」
民放で念願の子ども番組を作ることができたとき、「私が生きている意味はここにある」と実感できた。絵本の翻訳や、英語の読み聞かせ本の製作にも携わった。そしてモンテッソーリ教育と出合う。
「ゆくゆくは日本でバイリンガルのモンテッソーリ幼稚園を開きたいんです。そこに向けていまは経験を重ねています」
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