【現代語訳】

・孔子がおっしゃった。「大道が行われていた時代は、天下のものすべてが公共のものだと考えられていた。だから人は、自分の親だけを親と思わず、自分の子どもだけを子どもだとは考えず、年老いた人たちも、みんなから大事にされて、安心して最期を迎えることができたのだった」

・孔子がおっしゃった。「人への思いやりや、仁愛を行動のよりどころに置くことは美しい。『仁者』であろうと自身のあり方を選ばなければ、本当の知者にはなれない」

【解説】

 相談者さん、「私は年長者を敬うことができない心の狭い人間なのでしょうか」なんて、考えることはありません。年長者を敬うことは、無理をしてまで妻の両親を経済的に援助するということでは、決してありません。そもそも子どもの親に対する扶養義務は、自分たちの生活を維持したうえで、余裕がある場合に発生するものです。

 お金の支援は、社会的・倫理的にも難しい問題です。それは、孔子が生きていた紀元前500年ごろでも同じでした。中国の古書『孔子家語』(『論語』に漏れた孔子の説話を収録したとされる)に、こんな言葉があります。

 孔子曰(いわ)く「(中略)大道(たいどう)の行わるるや、天下を公(こう)と為(な)す。(中略)故に人独(ひと)り其(そ)の親を親とせず、独り其の子を子とせず、老は終(おわ)る所あり」(『孔子家語(けご)』礼運第三十二)

「大道が行われていた時代は、天下のものすべてが公共のものと考えられていた。だから人は、自分の親だけを親と思わず、自分の子どもだけを子どもだとは考えず、年老いた人たちも、みんなから大事にされて、安心して最期を迎えることができたのだった」という意味で、人々が私利私欲に走る世の中を嘆いた言葉です。

 孔子が理想としたのは、「大道」が行われていた時代です。本当にそんな時代が存在したのかわかりませんが、孔子は、そういう時代があったと信じて、あくまで理想を語ったのです。「大道」の時代とは、わかりやすく言えば、「私の」という、「私的な所有」の意識がない社会です。

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