わだ・しんや/1977年、大阪府出身。関西大学大学院社会学研究科博士前期課程修了。長瀬産業所属。網膜色素変性症の影響から両眼とも光を感じる程度で陸上競技ではT11クラス。中学でラグビーを始めるが、徐々にボールが見えなくなり高2の秋に退部。28歳で走り始め、2012年ロンドン・パラリンピック男子5千メートルで銅メダル。19年世界選手権同1500メートルで4位入賞し、東京パラ代表に内定。マラソン、1万、1500、800メートルの日本記録を持つ(写真/写真部・加藤夏子)
わだ・しんや/1977年、大阪府出身。関西大学大学院社会学研究科博士前期課程修了。長瀬産業所属。網膜色素変性症の影響から両眼とも光を感じる程度で陸上競技ではT11クラス。中学でラグビーを始めるが、徐々にボールが見えなくなり高2の秋に退部。28歳で走り始め、2012年ロンドン・パラリンピック男子5千メートルで銅メダル。19年世界選手権同1500メートルで4位入賞し、東京パラ代表に内定。マラソン、1万、1500、800メートルの日本記録を持つ(写真/写真部・加藤夏子)

 東京パラリンピックは8月30日、陸上の男子1500メートル予選(T11)があり、和田伸也(44)が出場する。AERA2021年6月7日号のインタビューを紹介する(肩書、年齢は当時)。

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 コロナ禍でさまざまな制限があった2020年、全盲ランナーの和田伸也は大きく飛躍した。

 9月の日本選手権は男子1500メートルで自己ベストを約6秒上回る4分5秒75のアジア新、11月の関東選手権では男子5千メートルで自己記録を21秒更新する15分11秒79のタイムで制し、同年の世界ランキングでどちらも1位に立った。

「限られた環境の中、工夫し、集中してやるのが僕の競技スタイルなんです」

 原点は高校時代にあるという。

 視野が狭くなり、パスを受けられなくなってラグビーをやめた。進行性の病気で浪人したら目が持たないと思い、大学受験に集中。参考書の文字を拡大コピーしたが、視界に入る文字が少なくなり、読むだけで人の何倍も時間がかかる。そこで、受験科目が少なく、アクセスのいい私大を探し、関西大学に合格した。

「工夫しながらできることを探し、一つ、二つ積み重ねればいつか十になる」

 パラリンピックの12年ロンドン大会男子5千メートルで銅メダルを取ったが、16年リオデジャネイロ大会では6位。市民ランナーとして戦う限界を感じ、18年に長瀬産業に入社し競技に専念。19年には走力と冷静な判断力を持ち合わせる伴走者・長谷部匠と出会い、40歳を超えてなお記録を伸ばし続ける。

「練習も含め多くの伴走者に支えてもらっていて、勝てば喜びも倍増する。金メダルを狙える位置にいるので、自慢の持久力でラストスパートをかけて勝ちたい」

(編集部・深澤友紀)

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■陸上競技

 基本的なルールは一般の競技と同じ。車いすや義足・義手を使う選手、視覚障害、知的障害などさまざまな障害の選手が参加するため、障害の種類や程度でクラス分けされる。視覚障害のクラスはT11~13に分かれ、数字が小さいほど障害が重い。T11は伴走者と必ず一緒に走り、T12は単独走か伴走者と走るかを選択できる。5千メートル以上の種目では2人の伴走者が認められている。

※AERA2021年6月7日号に掲載