浅草停留所を発車し、江戸通りを走る千住線と交差する24系統須田町行き。画面右に隣接する雷門停留所との距離は113mしかなかった。背景の街並みには、大和銀行、三井銀行、富士銀行、神戸銀行、東海銀行など、懐かしい名称の金融機関が林立していた。浅草~雷門(撮影/諸河久:1964年6月14日)
浅草停留所を発車し、江戸通りを走る千住線と交差する24系統須田町行き。画面右に隣接する雷門停留所との距離は113mしかなかった。背景の街並みには、大和銀行、三井銀行、富士銀行、神戸銀行、東海銀行など、懐かしい名称の金融機関が林立していた。浅草~雷門(撮影/諸河久:1964年6月14日)

 画面右端に浅草雷門と池袋駅を結ぶ104系統のトロリーバスが写っている。その左側が雷門停留所の安全地帯で、吾妻橋を渡って本所方面に向かう24・30系統の到着を待つ乗客で賑わっていた。雷門停留所と吾妻橋交差点を挟んだ東側(画面手前)に位置する浅草停留所とは僅か113mの距離で、都電の短距離停留所区間の一つだ。ちなみに、停留所間隔の最短区間は御茶ノ水線(飯田橋~秋葉原駅東口)の万世橋~秋葉原駅西口で80mの停留所距離だった。

 トロバスの奥に遠望されるのが、昔日の十二階「凌雲閣」を彷彿させる「仁丹塔」で、その実態は「東京名物仁丹広告塔」と側面に記された高さ45mの電飾広告塔だった。高層建築が皆無だった昭和期、浅草を代表するランドマークとなったが、使命を終えた1986年に解体されている。

 吾妻橋交差点から都電やトロバスが消えて半世紀。筆者の視界にはコロナ禍の影響で人影もまばらな浅草の街が展開した。早く災厄が過ぎ去り、再び浅草の街に賑わいが戻ることを祈念したい。

■撮影:1965年2月14日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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