昭和39年4月の路線図。信濃町界隈(資料提供/東京都交通局)
昭和39年4月の路線図。信濃町界隈(資料提供/東京都交通局)

■現在の信濃町駅前からは…

 信濃町線は、オリンピックから5年後の1969年10月に廃止された。戦前からの運転系統の遍歴を振り返ってみよう。1931年には3系統(鹽町~北品川)と8系統(鹽町~宇田川町)の二系統が運転されていた。3系統は京浜電鉄との相互乗り入れで、品川駅前から北品川まで足を伸ばしていた時期にあたる。戦時中の1944年になると3系統(四谷三丁目~泉岳寺前)と8系統(四谷三丁目~浜松町一丁目)になった。

 戦後は7系統(四谷三丁目~品川駅前)と33系統(四谷三丁目~浜松町一丁目)に改編され、1963年10月から10系統(渋谷駅前~須田町)がオリンピック道路工事の迂回運転で加わり、三系統の運転になった。

 信濃町駅前に立っても、専用橋に都電が走っていた残滓(ざんし)さえ残っていない。神宮外苑の杜から漂ってくる新緑の香と、眼下を走るJR中央線の走行音が、半世紀前のわずかな記憶を呼び起こしてくれる。

■撮影:1964年5月17日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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