中央線に架かる都電の専用橋を渡る33系統四谷三丁目行き。後からは7系統の都電も雁行している。右側には新緑が眩しい神宮外苑の杜が拡がる。権田原~信濃町(撮影/諸河久:1964年5月17日)
中央線に架かる都電の専用橋を渡る33系統四谷三丁目行き。後からは7系統の都電も雁行している。右側には新緑が眩しい神宮外苑の杜が拡がる。権田原~信濃町(撮影/諸河久:1964年5月17日)

 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は国鉄(現JR)「信濃町」駅前の専用橋走る都電だ。

【55年が経過した今は激変!? 現在の同じ場所「信濃町」駅前や他の写真はこちら(計6枚)】

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 2020年東京五輪・パラリンピックに向けて、メイン会場となる新国立競技場の工事は、現在、急ピッチで進められている。競技場の場所は新宿区と渋谷区をまたがり、この時期は新緑に囲まれる明治神宮外苑に隣接する。最寄り駅は都営大江戸線・国立競技場前駅だが、前回の1964年東京五輪のときに最寄り駅として使われたのは国鉄「千駄ヶ谷」駅と、今回の撮影地である「信濃町」駅だ。

 写真の撮影日は1964年5月17日。つまり、前回の東京五輪の開催5カ月前の信濃町駅付近の光景ということになる。

■都電しか渡れない橋

 実は、都内を縦横に走っていた都電路線には「都電しか渡れない」専用橋が何カ所か存在した。

かつて専用橋があった信濃町駅前の現在写真。専用橋の面影はない(撮影/井上和典・AERA編集部)
かつて専用橋があった信濃町駅前の現在写真。専用橋の面影はない(撮影/井上和典・AERA編集部)

 都電の専用橋といえば、荒川線の面影橋~学習院下に所在する神田川を渡っている高戸橋橋梁が有名だ。現存する荒川線に乗られた方は「神田川畔の桜を愛でつつ渡る鉄橋」といえばお分かりになるだろう。既に廃止されたが、25系統の旧中川を渡る専用橋(浅間前~小松川二丁目)や29・38系統の竪川を渡る太鼓橋然とした専用橋(水神森~竪川通)はともに王子電気軌道や城東電気軌道から引継いだ橋で、いずれも渡河するためのインフラであった。

 その専用橋の中で一カ所だけ、国鉄路線を跨線するために設けられた橋があった。それが今回紹介する国鉄・信濃町駅前の専用橋だ。

 写真は中央線の頭上に架けられた専用橋を走る33系統四谷三丁目行きの都電で、後方には同じ四谷三丁目折り返しの7系統の都電が雁行している。信濃町停留所から少し南側に歩いた地点で、右側の神宮外苑の杜を背景にフレーミングを整えた。初夏のむせ返るような新緑の香りに包まれて撮影したことを記憶している。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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緑の中を走る信濃町線