哲学者 内田樹
哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 小学校の先生たちが来訪して、教育現場について生々しい話を伺った。「教育崩壊」の一歩手前まで来ているということだった。教員不足が深刻な事態になっている。仕事は増え続け、自由裁量の幅は狭められ、管理職に細かく査定され、保護者からのクレームには頭を下げ……という現状では教員志望者が減少して当然ですと言われた。そうだろうと思う。

 今はどこでも教員たちは「組織マネジメント」によって統制されている。この組織マネジメントなるものは「どうやったら教員たちは毎日上機嫌で働くようになるか」ではなく、「どうやったら生産性の低い教員、上位者の命令に従わない教員に罰を与えるか」を優先しているように私には見える。しかし、市民たちはこの「教員いじめ」に特段の関心を寄せていない。この種の統制は教育活動を質的に向上させる上では有害無益なことだと私は思う。現にそのせいで「教員のなり手がいない」という事態を迎えることになっているのである。

 教員数はぎりぎりで、70歳過ぎの退職者にまで出講を依頼しているが、それでも誰かがバーンアウトして離職すると、もう補充がきかない。「1人の教師が2クラス、3クラスをオンラインで教える」という事態が到来するのも時間の問題だという。「子どもたちと顔を合わせることができないなら、それはもう教育とは言えません」と教員が訴えても、「だったら、教え上手の先生のビデオ授業を配信して、子どもたちにはそれを見せておけばいい」と言い放つ教育関係者もいると聞いた。もはや末期的光景である。

「どうしたらいいでしょう」と問われたので、「戦いなさい」と答えた。今の教育行政は間違っている。いくら教員の心身を痛めつけても、子どもたちの市民的成熟に資するところはない。

 上からの命令でも筋の通らないことについてはきっぱり「ノー」を告げるべきだ。そのために必要なのは「勇気」だと申し上げた。マジョリティーが一方向に向かっている時、ただ一人で「それは違う」と立ち上がるためには勇気が要る。そして、日本の学校教育が久しく子どもたちに教えようとしなかったのは「勇気を持つこと」だった。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2023年4月17日号