日本生命保険 筒井義信会長/水道筋商店街へくると眼医者へいった帰りに1個5円のコロッケを三つ買って食べて、満腹で夕飯を残して母に叱られたことを鮮明に思い出す(撮影/狩野喜彦)
日本生命保険 筒井義信会長/水道筋商店街へくると眼医者へいった帰りに1個5円のコロッケを三つ買って食べて、満腹で夕飯を残して母に叱られたことを鮮明に思い出す(撮影/狩野喜彦)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年4月10日号の記事を紹介する。

【写真】バスケ三昧の学生時代/筒井義信会長

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 1997年春、本社の市場開発部次長になり、広告宣伝の担当課長を兼務した。43歳。部下はわずか8人だったが、予算規模は大きく、社会に「会社のメッセージ」を発信するという重要な仕事だ。会社のため、お客のために、何ができるか──入社以来初めてといっていいほどの燃えるものを、感じた。

 7月、新しいテレビCMを流し始める。登場させたのは、若い層に支持されていた個性派歌手の忌野清志郎。「若い人たちに、もっと日本生命に関心を持ってもらうために」という、若い部下の発案だ。

 それまでは、人気随一の女優ら幅広いファン層を持つ人を起用していた。全国で図抜けた生命保険の契約者数を持つ会社らしい選択、ではある。ただ、企業イメージ調査では「安心感」とともに「斬新性や先進性に欠ける」とも出ていた。だから、何か新しいもの、これまでと異なるものをやりたかった。

■CMへの不評も若者に任せて古い殻を破った

 故郷・神戸は早くから港を開き、多くの外国人とも一緒に暮らしてきた。新しいものや異なるものを受け入れるという、いまで言う多様性を尊重する風土を持つ。それに包まれて育っただけに、自らの行動様式や価値観の『源流』は神戸だ、と言い切れる。忌野清志郎の起用という新しい発想に同意したとき、その『源流』が顔を出した。

 背景に、会社の先行きへの危機感がある。国内の生保市場の成長はピークを過ぎ、契約件数が下がりかけていて、未来への策はどうするか、との問題意識だ。社内では職位が上へいくほど、危機感は持っても自らの先行きがみえてくるので、切迫感がない。「何かしなくては」との気持ちが最も強くなるのが課長級。自分も、そうだった。

 だが、新CMは、社内外ともに評判が悪い。髪形が変わっていて汚いとか、叫ぶように歌うので「会社のイメージが悪くなる」などの声が届く。でも、そうは思わないので、心配する役員や部署を回って「若い連中に任せましょう」と説き、了解を得る。CMは予定通り10カ月、放映した。やり遂げたとき、市場調査で示された企業像から抜け出し、会社が持つ古い殻を破ることができた、と頷く。キーワードは「その先へ」だった。

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