卵子提供などの生殖医療を巡っては、人権や子どもの気持ちにも配慮したさまざまな視点からの議論が必要となる。AERA 2023年2月13日号では、「卵子提供ボランティア」に応じた女性のインタビュー記事を紹介する。

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 私は2000年代前半に、アメリカで卵子を提供しました。当時20代だった私はNYにいて、仕事はしていましたが収入が安定せず、不安に思っていたとき、日本人向けのフリーペーパーで、「卵子提供ボランティア募集」という広告を見つけました。謝礼は6千ドルでした。

 電話をすると、美容院にでもかけたような気軽な雰囲気。登録には、健康状態や血液型、最終学歴、整形や遺伝的な病気の有無などチェックがあり、子どもが会いたいと言ってきたら会ってもいいかという質問項目もありました。

 すぐにマッチングし、採卵まで、自宅に送られてきた注射器で指示通りに数カ月、自分でいろんな薬を注射しました。投薬のせいかは分かりませんが、ずっと具合が悪く、私が途中でやめたらものすごい迷惑がかかるというプレッシャーがありました。

 採卵の日、センターへ行くと、流れ作業のように全身麻酔を打たれ、目が覚めたときは採卵が終わっており、その後ホテルへと移動しました。

 それまでセンターに行っても、安いホテルしか用意されませんでしたが、その日は四つ星ホテルでした。ホテルのロビーで、脂汗が出るほど下腹部が痛くなり、担当者に腹痛を訴えても「問題ない」と言われ、綺麗なベッドで痛みに耐えて過ごしました。

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