J-WAVEの人気番組「GROOVE LINE」が9月29日に終了する。「自分がやりたいことができる環境をつくってきた」というピストン西沢さんの24年半とは、どんなものだったのか。AERA 2022年10月3日号の記事を紹介する。
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あと十数秒で放送が終わる9月1日の夜7時前、ピストン西沢さんが言った。
「そうだ、この番組、今月いっぱいで終了です」
突然の終了宣言にリスナーはざわつき、DREAMS COME TRUEの中村正人さんは「ピストン西沢はラジオ界の宝。」とブログに投稿した。番組にはアーティストからの出演希望が相次いだ。スタジオでは物心ついたときから聴いていたというチャラン・ポ・ランタンが涙し、石井竜也さんが絵を贈るなど、ラスト1カ月はゲスト満載、祭りのような放送が続いている。
一貫してハイテンション、独特のトークとDJミックスで人気を集めるピストンさんは24年半、J-WAVEの夕方の時間を走り続けてきた。同じナビゲーターが続ける番組でさらに長いのは、同局ではクリス・ペプラーさんの「TOKIO HOT100」しかない。聴取率は6月の首都圏ラジオ聴取率調査(ビデオリサーチ)で同時間帯トップだし、スポンサーもついているが、10月からの新番組編成のために終了することになった。
「ラジオの自分は店じまいして、他の自分が今度はメインになるというだけの話です。やりたいことがいろいろありますから」
とピストンさんは語る。
■ADから始めた努力家
そもそもバイリンガルのナビゲーターが主流のJ-WAVEに、なぜピストンさんが出演することになったのか?
「脳科学者にも言われたんですけど、僕は小さい頃から今まで子どもが興奮しているような状態がずっと続いてるんですよ。うるさい子どもだったと思うし、我慢しないと社会でうまくやっていけないことはわかっていたから、自分の能力でごはんが食べられるところを目指したんです」
選んだのは音楽の道だった。通産省(当時)の官僚だった父親が薦める企業には行かず、ディスコで、今でいうクラブDJをしていた。番組の初代プロデューサーで当時を知る杉山博さんは、
「彼がターンテーブルミックスを始めると客が集まってきてフロアがぎゅうぎゅうになるんです。とんでもなく人気のあるDJでした」