大宮エリーさん(左)と倉本聰さん/photo 本人提供(大宮エリー)
大宮エリーさん(左)と倉本聰さん/photo 本人提供(大宮エリー)

 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。今回は6人目のゲスト、脚本家・演出家の倉本聰さんの浪人時代にさかのぼります。

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大宮:どうして東大に行こうと?

倉本:おやじも兄貴も東大だったし、おふくろが入れたがったんですね。ですから2年浪人しました。

大宮:浪人時代から演劇に興味が?

倉本:最初は映画ですね。日活の帝都名画座で安く名画を見られるので、フランス映画をひたすら見てました。

大宮:ある意味すごく有意義な期間だったんですね。

倉本:そうですね。そのころ映画館にね、要するに英会話ブームもあって「採録シナリオ」っていうものを置いてたんです。

大宮:へえ。

倉本:採録シナリオっていうのは、シナリオじゃないんですよ。映画を見て、写しとったものなんですね。

大宮:ああ、書き起こしですね。

倉本:だからね、ここで音楽が入るとか、ここでクローズアップとか、そんなことまで書いてあるんですよ。

大宮:はあ、面白い。

倉本:僕はそこから入ったものですから、今でも僕のシナリオは「音楽が入る」とか、「忍び寄る」とか書いたり、「間」を多く使っちゃう。

大宮:倉本さんの作品には人生の悲哀みたいなこととかがありますよね。アメリカ映画じゃなくてフランス映画だったの、わかる気がします。

倉本:アメリカ映画も初期の頃はすごく感動できましたね。一番好きな映画は「素晴らしき哉、人生!」って映画なんですけど、あの頃は、映画が感動を目的にしていた気がするんですよ。今は面白いけど、快感を目的にしているんじゃないかって。

大宮:お金主義になってきてるんですかね?

倉本:テレビの影響もあるのかなあ。とにかく快感を得ればいい、楽しめればいいってことに変わってきちゃいましたね。僕がシナリオライターの勉強をし始めた頃ね、東映のマキノ光雄さんっていうプロデューサーが、あるシナリオを読んで、「このシナリオは、ドラマはあるけどチックがねえな」って言ったんです。

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