駆け出しのライターだった頃、女子プロレスに夢中になった。その頃ファンだった長与千種とBONDプロジェクトで遭遇し、また応援するようになった(写真=岡田晃奈)
駆け出しのライターだった頃、女子プロレスに夢中になった。その頃ファンだった長与千種とBONDプロジェクトで遭遇し、また応援するようになった(写真=岡田晃奈)

 橘と、パートナーでフォトグラファーの多田憲二郎(ケン)は、15年以上前から街で少女たちの声を聞き伝えてきた。華やかな笑顔に、はかなさの見え隠れする少女たちに惹きつけられる。それはBONDを運営する今も変わらない。

「だからさ、今もうちに相談してきた子と会えると、ありがたいなって思うんだよね。話を聞かせてもらえるって、ありがたいよね」

 好きでやってきたことの先に、やむにやまれずNPOをつくる選択肢が降ってきた。だが、人助けをしていると言われることには違和感がある。だって自分はルポライターなのだから。橘の思いを整理すると、こんなことのようだ。

 ライターとしての振り出しは18歳、10代向けの雑誌「ティーンズロード」(以下、TL)だった。バブル経済の絶頂期、1989年に創刊されたTLで橘は読者として取材を受けた。自分たちを否定せずに面白そうに話を聞く大人に驚き、あの人たちのように面白がりながら仕事をする大人になりたいと、ライターを志願する。

 初代編集長の比嘉健二に聞くと──。

「彼女はたぶん中学ぐらいから大人への反発がエネルギーになってレールからはみ出してたと思う。ベレー帽に水玉のシャツを選んで着るような、独特の感性のある子だった。試しにコラムを書かせてみたら、けっこう書けた。話もうまいからラジオのパーソナリティーをしてたし、うちの映像事業のリポーターもやってもらった」

 比嘉はアウトローの10代をターゲットに家族問題、不登校、恋愛、予期せぬ妊娠、シングルマザーなどの硬派なテーマを掘り下げる編集方針をとった。彼らを断罪するのではなく、当事者の側に立って取材した特集は、普通の高校生にも支持され、最盛期には販売部数20万部を記録した。

 橘はTLでルポも書いた。記事を確認すると、複雑な家庭環境に育ち親との関係に苦しんだ人、レイプにより出産した子どもと生きている人など、陽のあたらない場所で困難に直面する若い女性ばかりを取材していた。この頃すでに橘は少女たちに心を寄せていたのだ。だが、橘は裕福な堅い家の次女で、彼女たちの生い立ちと重なる点はない。なぜ彼女たちの話を聞きたいと思ったのか、今でも橘には説明がつかない。

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