師匠の男性ライターは一度の取材でできる限り相手から物語を引き出し、自分が面白いと思ったことを存分に書くよう教えたが、橘は女性のその後の人生も気になってしまう。取材では延々とテープレコーダーを回し、被写体を自宅に泊めたり、取材先に泊まり込んだりして距離を縮めた。

「彼女たちのこと、尊敬してた。境遇に愚痴や不満を言わず、そのままに受け止めて生きてる彼女たち、かっこいいなって思ってたんだよね」

 橘がライターとして経験を重ねていた90年代、世間では男性の性的な消費の関心は女子高生へと移っていた。「援助交際」というワードが流行語大賞に入ったのは1996年だった。制服姿の高校生がお小遣いを稼ぐために売春をするという社会現象は、女子高生の性倫理の欠落の問題として取り上げられた。その後、ガングロ、コギャル、などと流行は移ろう。相変わらず、女子高生が報酬と引き換えに初対面の男性と性的な関係を持つ行為は、少女の側の問題とみられていた。だが、橘は彼女たちの行動と居場所のない心もとなさや家族の問題のつながりを認識していた。

BONDが始まったとき「なんで不良の子たちにわざわざ関わるの」というのが大方の反応だった。今では8人の職員と30人のサポートメンバーが働く(写真=岡田晃奈)
BONDが始まったとき「なんで不良の子たちにわざわざ関わるの」というのが大方の反応だった。今では8人の職員と30人のサポートメンバーが働く(写真=岡田晃奈)

■少女たちの声を集めた 「VOICES」を創刊

 ある少女は突然腕をまくって「こんな私でも、きらいにならない?」とリストカットの痕を差し出し、親からの虐待を打ち明けた。少女たちはなぜか橘に心を開いた。家に帰ると多田に少女の話をする。多田は物語に引き込まれた。多田は言う。

「ジュンが書く原稿が技術的にどうかは僕にはわからない。でも、彼女は女の子の言葉を聞き取るのが抜群にうまいと思った」

 二人は週末になると渋谷や歌舞伎町に出かけ、少女に声をかけ、話を聞き、写真を撮った。彼女たちがふとつぶやく孤独、不安、大人への不信、怒り。橘はその声をぐいぐいと引き出し、多田は街の光と影を吸い込んだ表情の揺らぎをレンズに捉えた。だが雑誌に企画を持ち込んでも編集方針に合わせれば、大人の求めるストーリーに加工されてしまう。いっそ雑誌をつくれないかと比嘉に相談すると、「雑誌づくりをなめるんじゃない」と怒られた。あきらめられない二人はフリーペーパーをつくることにした。

 2006年、「VOICES」創刊号の表紙には、多田が撮った、カラフルな色鉛筆を手にした娘の写真を選んだ。1999年に生まれた一人娘だ。

 リストカットする少女たち、カラーギャング、ヤマンバギャル……。「VOICES」は少女たちの声を採集した。予期せぬ妊娠の戸惑い、親とのわだかまり、寂しさ、怒り、売春。外見からはわからない女の子たちの声を集めた「VOICES」は注目されるようになる。

(文中敬称略)

(文・三宅玲子)

※記事の続きはAERA 2022年9月19日号でご覧いただけます。